スポーツ大国 メキシコ合衆国
メキシコ合衆国は、世界でも有数のスポーツ大国として知られています。1968年のメキシコシティオリンピックは、その象徴と言えます。また、メキシコは、1970年と1986年の2度にわたって、FIFAワールドカップが開催されたサッカー大国でもあります。最近では、本田圭佑選手のパチューカ移籍で注目されるメキシコのスポーツ界。今回は、そんなスポーツ大国・メキシコのスポーツ史に残る英雄5人を紹介します。明日から、「おれ(わたし)、〇〇選手知ってるんだぜ(よ)」と、メキシコ人との会話で使ってみてください!
ウーゴ・サンチェス(サッカー)
ウーゴ・サンチェスは、1958年7月11日、メキシコシティ出身のサッカー選手で、ポジションはフォワードでした。1980年代後半には、世界一のサッカークラブであるレアル・マドリードの中心選手として大活躍。リーガ・エスパニョーラで5度の得点王に輝き、メキシコ史上最高ストライカーと称されています。国際サッカー歴史統計連盟が行った「20世紀の偉大なサッカー選手ランキング」では、26位に選ばれました!そんな彼のスーパーゴール集がこちら!
ホルヘ・カンポス(サッカー)
「なんじゃこのユニフォーム!」と思った方、多いのではないでしょうか?このユニフォーム実は、彼自身がデザインしたもので、彼のトレードマークなんです!そんな彼の名は、ホルヘ・カンポス。1966年10月15日、ゲレーロ州アカプルコ出身のサッカー選手で、ポジションは、ゴールキーパーとフォワードでした。ん??ゴールキーパーとフォワード!?そうなんです!彼は、ゴールキーパーをメインとし、時にはフォワードも兼ねちゃう超人。メキシコ代表として、1994年、1998年ワールドカップにもレギュラーとして出場し、決勝トーナメント進出に貢献しました。ちなみに現在は、サンドイッチチェーン「SPORTORTAS」を経営しています。
フェルナンド・バレンズエラ(野球)
フェルナンド・バレンズエラは、1960年11月1日、ソロラ州エッチョワキーラ出身の野球選手で、ポジションはピッチャーでした。人々から「エル・トーロ(雄牛)」のニックネームで呼ばれ、伝説の剛腕投手として知られています。1980年から1990年まで、ロサンゼルス・ドジャースに所属し、挙げた勝利数なんと141勝!1983年には、メジャー史上初の100万ドルプレーヤーとなりました。
フリオ・セサール=チャベス(ボクシング)
フリオ・セサール=チャベスは、1962年7月12日、ソノラ州シウダ・オブレゴン出身のボクシング選手で、世界タイトル3階級制覇を達成したスーパースターです。デビューしてから90戦無敗、88連勝という記録は世界歴代3位、1試合に動員した観客その数最大13万人!2010年には、世界ボクシング殿堂入りを果たしました。彼のKO集がこちら!
サウル・メンドサ=エルナンデス(車いす陸上競技)
サウル・メンドサ=エルナンデスは、1967年1月6日、グアナファト州セラヤ出身の車いす陸上競技選手です。生後6か月で小児麻痺と診断されましたが、4歳からスポーツに没頭、車いすを素早く操作する能力を養いました。2000年シドニーパラリンピック、2004年アテネパラリンピックの車いす陸上競技(シドニーでは1500メートル、アテネでは5000メートル)でそれぞれ金メダルを獲得しました!引退後も、メキシコを代表するアスリートとしてさまざまな社会活動を行っており、メキシコ国民の希望の星となっています!
明日からの会話のネタに!
どうでしたか?今回、紹介した5人はメキシコ人なら誰でも知っている、メキシコが誇る英雄たちです。ぜひ、明日からメキシコ人との会話のネタに使ってみてください!カラフルな服を着ている女性に「ホルヘ・カンポスにデザインしてもらったのかい?」など、ジョークを言ってみるのもアリかも。