【インタビュー】挑戦し続ける料理人、前田大輔のメキシコでの奮闘生活

音楽活動に打ち込むため、弱冠17歳でアメリカへ渡った前田さん。その後、音楽活動を辞めて飲食の世界に進むことを決断し、アメリカの日本食レストランなどで働かれた後、メキシコへ来られました。 料理人として海外で働く上での難しさと面白さ、やり甲斐などについてお話を伺いました。

お名前:前田 大輔さん

お仕事:料理人/日本食レストランRokai

Rokai: https://www.facebook.com/rokaimexico

17歳の時に音楽活動をするため渡米

 私は香川県高松市で生まれました。中学3年生の頃にギターを始めたことがきっかけで音楽にのめり込み、イギリスやアメリカのミュージシャンに強い憧れを抱いていました。中学校を卒業して、高校は大阪にある単位制の高校に進学したのですが、入学した当初から、高校卒業と同時にアメリカへ行って音楽に打ち込むことを決意していました。予定通り取得すべき単位を2年間で取り終え、17歳の時にヒューストンへ単身で向かいました。

アメリカに到着した後、自分とは違うバックグラウンドを持った人々とコミュニケーションが取りたいと常々思っていた私は、大学に付属していた語学学校に入学し、英語を学習する日々を送ります。

そして語学学校を卒業後、ヒューストンの大学に入学したのですが、私は音楽活動に打ち込みたくてアメリカに来ていたため、数学や生物などの授業に興味が湧かなかったんです。徐々に大学の授業へ通わなくなり、音楽活動に打ち込みながら、生活費を稼ぐために日本人経営の寿司屋で働く日々を送っていました。

「カッコいい」と思える料理人と出会い、飲食の世界へ進む

 当初から「食」の業界に魅力を感じ、飲食店でアルバイトをしていたわけではなく、生活するために働いていたのですが、徐々にアルバイトに掛ける時間が増えていきました。午前中から大学に通い、夕方から寿司屋で働いた後、深夜から友人の家でバンド練習に明け暮れる日々を送っており、多忙な日々を送っていましたが、忙しさが苦にならないほど当時の生活は楽しい時間でしたね。

24時間フル稼働に近い生活を送っていたため、大学の授業に行けない日が増え、19歳の時にヒューストンの大学を退学になりました。これをきっかけに一度日本に帰国し、日本で一年間働いてお金を貯めた後、ロサンゼルスに戻りました。

ロサンゼルスではラーメン屋や寿司屋、パスタ屋などの様々な飲食店で働きながら音楽活動に勤しむ日々を送っていたのですが、22歳の頃、飲食店で働く時間が増えたことから、バンド練習に行く時間が減り、ギターに触る機会も徐々に少なくなったため、音楽活動を辞めることにしたんです。音楽と飲食、どちらも厳しい世界であることは自身の経験を通して身に沁みて感じており、何方かを選ぶ必要があると思ったことから、この決断を下しました。

飲食の世界に進もうと決意したのは、当時働いていた職場で出会った先輩への憧れが大きな理由です。カッコいいと感じる先輩方に職場で出会えることなく、飲食の世界に進むことをもし決断していなければ、今でも中途半端に音楽を続けていたと思っています。

未来が想像できない方向に惹かれた

 私が働いていたレストランに、ある日、現Rokaiのオーナーが立ち寄られた際に、「メキシコに来ないか?」と誘って下さったんです。全く予想だにしなかったお誘いに当初は戸惑いましたが、丁度その頃、アメリカでは労働ビザの発給が厳しくなっていたことなどを受け、28歳だった私は日本に帰国することも考えていたため、メキシコ行きの話に大変興味を抱きました。

メキシコに行ってみようか迷っていることを周りの友人たちに相談すると、ほぼ全員に反対されましたが、それでも私はメキシコの話を聞いてると、とてもワクワクしたんです。自分の将来がどうなるかが全く想像出来なかったことが、逆に面白く思えました。

このタイミングで日本に帰国すれば、実家の高松付近で自分の店を持って、地元の誰かと結婚する、という普通の生活が待っていることは容易に想像出来たのですが、私は想像だに出来ない将来に自分の身を置きたいと思っていたんです。生活に慣れてきたカリフォルニアで過ごしたり、故郷の日本で生活していくことと、どんな未来が待っているのか想像出来ないメキシコで過ごすことでは「どっちの方が面白いか?」と自分に問いかけた時に、迷わずメキシコでの生活の方が面白く映ったため、アメリカでの仕事を辞め、メキシコへ行くことを決断しました。

メキシコに行くからには、仕事で実績を必ず残そうという強い気持ちを抱き、メキシコの地に向かいました。

店舗物件さえ未だ決まっていなかった状態でメキシコに向かったのですが、現Rokaiのオーナーと街を歩いていた際にRokai一号店となる物件を見つけました。「ここでやれば絶対に上手くいく!」と感じ、直ぐに物件を契約して、急ピッチで内装工事に取り組み、Rokai一号店が完成しました。

一号店が開店した後、我武者羅に店舗の立ち上げに携わり、気づけば現在Rokaiの店舗は3店舗まで拡大し、今年中に4店舗目をオープン予定、また来年には5店舗目を開店させることが決まっています。

如何なる環境下でもベストパフォーマンスを

 Rokai一号店の内装が完成した当初は、キッチンの環境さえ整ってなかったんです。正直、ロサンゼルスで働いていた頃では考えられない環境でした。不自由ない環境にあるとは決して言えない状況でしたが、この環境で高いパフォーマンスを出せれば、世界中のどこに行っても働けるなと思ったんです。食材の配達が時間通り届かない場合や、水道や電気が止まった時、どう対応すべきかを日々のトラブルを通して学びました。メキシコでのイレギュラーな事態を乗り越えてきたので、私はどんな環境でも応用が利く料理人になりつつあると自負しています。現在も、如何なる環境下でもお客さんのことを第一に考え、ベストパフォーマンスを出すことを意識しながら働いています。不自由やトラブルがメキシコでは日常的に発生しますが、料理人にとって良い環境が整っていないからこそ、自分たちの手で環境を整えていく楽しさがここにはあります。

また、アメリカなどの国々と比べてメキシコは日本食を調理する上での食材が手に入りにくいと思われてる方が多いと思いますが、実際には大変良い食材がメキシコで調達出来ます。私自身も休日にはエンセナーダという港町に出向き食材を探しに行くと、豊富な食材に出会えるため、訪問する度に驚きます。観光地としても有名なソチミルコへ野菜卸売業者の方々と訪れた際には、有機栽培の大根やレタスなど、様々な野菜が育てられているのを目の当たりにしました。自然が豊かな地で育てられている野菜は、マーケットに並んでいる食材と全く違って、非常に元気があるものばかりで料理人の心が躍ります。

ただし、日本食に活用出来る美味しい食材を調達するには、仕入先を自分達で開拓していく必要があり、高いクオリティの食材を見つけるのは容易ではありませんが、必要だから開拓していく、というプロセスが私にとってはメキシコで働く上での楽しさに繋がっています。

環境やチームをゼロから作っていく面白さ

 私自身が細かいことはあまり考えず、苦にならない性格だからなのかもしれませんが、メキシコで働く上で不愉快に感じることは、殆どありません。自宅のエレベーターがたまに止まることに対しては不快に思っていますが(笑)。

メキシコに限ったことではありませんが、海外の日本食料理屋で働いていると、日本食を通して文化の交流が出来ることが大きなやり甲斐であり、面白さだと思っています。

「食」は人々の生活の中心です。「食」の周りに人が集まり、国籍や文化が違う中で、お互いが互いの文化を理解しようとする空間が私は大好きなので、いまもこうして飲食業界で働いているんだと思います。

Rokaiでは現在、スピード感を持って店舗展開を進めていますが、Rokaiは会社として未だ成熟しきっていない若いチームです。貪欲になってチームが一丸となり、より良いチームを作っていくべき段階にあると思っています。店舗の数が増えたとしても、いいサービスを提供出来るように仕組みづくりやチームとしての成長を実現し、本当の意味でのサービスマン、そして料理人が集まるチームにしたいと考えています。Rokaiはまだまだ発展途上にあり、環境が完璧に整っていないからこそ、忙しく厳しい日々を送っていますが、様々なことを創り上げていく面白さが私にとって非常に有意義であるため、どれだけ疲れていても、毎日キッチンに戻って仕事に夢中になることが出来ます。

日本でもアメリカでもメキシコでも同じですが、飲食店で働くということは、9時に出社して17時に帰れる仕事ではありません。肉体的にも厳しい仕事ですが、Rokaiではやっと役者たちが揃ってきた段階にあり、これから更に刺激的な日々が待っていると確信しています。

料理人にとって整備された環境がないからこそ、環境をつくっていく必要がある、というのがメキシコで働く上での醍醐味だと日々感じており、これからも私はここメキシコでRokaiの料理人として、チームと一緒に成長していきたいと思っています。

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