【インタビュー】 中南米のエキスパートを目指して。三菱重工メキシコ社長 西岡勝樹

「キャリアじゃない、人生だ」をテーマにメキシコで活躍されている方へのインタビューシリーズ。記念すべき第一回目は、中南米で35年以上のご経験を持つ三菱重工メキシコ社長の西岡勝樹さんにインタビュー。パナマ、コスタリカ、ブラジル、メキシコなど中南米各国でグローバルに活躍されている西岡社長にご自身の生き方や海外で働く秘訣について迫りました。

これまでのご経歴について教えて下さい。

1962年に、奈良県の桜井市という田舎町に生まれました。

大学は、一浪して神戸市外国語大学イスパニア学科に入学しました。

スペイン語を選んだ理由は、英語以外のなにかを身に着けたいと思ったこと、そしてスペイン語ができれば、将来的にビジネスなどにおいて、スペイン、中南米でも活躍ができるのではないかと思ったからです。

また単純にラテンの文化や雰囲気にも興味がありました。大学在学中には、スペインのマドリッドへ7カ月間留学しました。

留学によって、言語の習得だけでなく人生の新たな選択肢を見つけることができたと思っています。スペインに行く前から、将来海外で働きたい気持ちはあったのですが、当時はあまりビジネスのことを知らず、外交官という選択肢ぐらいしか自分の中にありませんでした。

もちろん外交官になるのは並大抵なことではないので、どうしようかと悩んでいた時期に、当時スペインに駐在している日本人の社会人の先輩方と出会ったことで「一般企業に入り駐在員として海外で働く」という新たな選択肢を増やせたことは大きな収穫だったと思います。

大学卒業後は日立家電販売(現日立製作所)に入社して、中南米営業部に配属されました。新人時代の自分を振り返ると「ラテン大好き人間」だったと思います。新人研修時代の休日の昼間から、スペイン産のワインをがぶ飲みしていましたからね。

スペインまたは中南米に行きたいという気持ちが溢れていたのと同時に、本当に駐在できるのかという不安も大きかったです。

入社から5年後に念願叶ってパナマへの赴任が決定しました。当時、赴任前には結婚したいと強く希望していましたが、少し間に合わず…

赴任から3カ月後、出張と称して一時帰国させてもらい、新妻を連れてパナマに戻りました。

3年間パナマで働いた後は、隣国のコスタリカに赴任し、3年間、500人の従業員がいる工場の責任者を務めました。当時現地に駐在している日本人は私一人だけでした。

その後は日本に戻り、日立製作所の社内公募制度で家電部門から電力部門に移り、2004年にブラジルの事務所長としてサンパウロに赴任しました。

この時は娘も生まれていたので、家族3人でのブラジルでの生活でした。

当時は、ブラジルに加えて、アルゼンチンのブエノスアイレス事務所長も兼務し、結果9年間駐在しました。

帰国後は三菱重工と日立製作所の発電事業の統合に伴い、今の三菱重工に転籍して、2021年4月に三菱重工メキシコ社に社長として赴任し、現在に至ります。

現在、三菱重工メキシコはどのような事業をされているのでしょうか。また、その中で大変だと感じることはありますか?

私たちは小さな所帯ですが、三菱重工グループ会社の全ての製品をメキシコ及び周辺の中米各国の市場に導入する先駆的な役割を担っています。具体的には段ボールを作る為の機械やフォークリフトなどを、三菱重工アメリカ社と協力しながらメキシコのお客様に提供しています。

インフラ部門に関しては、日本でゆりかもめの車両を提供させて頂いたように、メキシコでも同様の新しい交通システムを導入できないかと模索しているところです。また発電部門では、子会社にあたる三菱パワーメキシコ社が40年以上に渡りメキシコ電力公社(CFE)にメキシコ全体の約25%以上に及ぶ発電設備を納めさせて頂いています。

大変なことと言えば、社会インフラを導入する際に必須である、政府とのネゴシエーションです。

極端な例ですが、現アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール政権は前政権が計画していた新空港建設の計画を白紙に戻してしまいましたね。

このように政権が代わればインフラプロジェクト自体が消滅してしまうことにもなりかねない、という大きなリスクを抱えながらプロジェクトを推進していくことは非常に難しいです。

20代の頃のどのような思いで仕事に取り組まれていたか教えてください。

入社後、中南米営業部に配属されてからは、他の同期よりも先に海外駐在したいという強い思いを持って仕事に臨んでいました。

そのために、貿易実務をがむしゃらに勉強していましたね。

その頃担当したのがアルゼンチンの家電の技術提携先で、当時のアルゼンチンでは外貨の支払いが困難で、支払いを受けるのも一苦労というような状況でしたが、実務をする中で海外ビジネスにおける、いろはを学びました。

一方で、経理・財務に関しては若い頃からもっと勉強しておけばよかったと感じてることもあります。

海外駐在で特に中南米の場合、社長の立場で会社経営を一人で担うことになる場合も多いかと思います。

営業出身だからといって、経理・財務のことを知らないのでは駐在員は務まりません。

会社経営の基礎である経理・財務の知識はしっかりと身に付けておくことが重要だと思います。

仕事において大きな失敗をした経験があれば教えてください。

失敗もそうですが、数々の大きなプロジェクトをものにできなかった苦い経験は多くあります。例えばブラジル駐在時代に、アマゾン川に発電機器を設置するという大きな水力発電のプロジェクトの計画がありました。当時の日本本社の社長にブラジルに足を運んでもらった案件でしたが、結局中国勢に敗れてしまいました。

もちろん本当に悔しい経験ではあったのですが、私はこの経験から日系企業が海外で大きなインフラビジネスを勝ち取るには、日本本社側の「やる気」を引き出すことがいかに大切であるかということを学びました。

いくら現地法人側でやる気があっても、日本側がついてきてくれないとどんなプロジェクトも成り立ちません。そのためには、現地にいる自分たちがそのプロジェクトがいかに有意義であるか、なぜ当社がやる必要があるかを、納得させるまで説得し続ける必要があります。しかし、これが最重要にして最難関です。多くの日系企業はラテンアメリカということを理由にリスクにばかり注目してしまいます。これらのリスクというハードルをいかに乗り越えるのかと同時にリスクを的確に見抜く力も必要で、本当に可能性が0ならば即撤退を決める決断力も欠かさないことが現地サイドの最重要課題です。

私は、リスクを見極めた上で、大切にしている考えがあります。

ゼロに何をかけてもゼロですが、0.01に10をかけたら0.1。さらに、10をかけたら1、そしてさらに100をかけたら100になります。

10倍、100倍、1000倍、この何倍をかけるかは、工夫であり、努力であり、知恵であると私は常々思っています。

また、高いハードルでも台を持ってくれば乗り越えることが出来ます。その台こそが、工夫かもしれないし、努力、知恵かもしれません。

このように私は、越えられないハードルはないと信じて少しでも可能性を感じたら絶対に諦めません。

日本人が海外で働く価値について、どのようにお考えですか。

多くの日本の企業が、ガラパコス化が進んでいる自国だけでビジネスをするというスタンスのままでは、厳しい時代だと感じています。

メキシコの場合、自動車メーカーと一緒に部品メーカーが、特に中小企業も多く進出していて企業の存続をかけた海外進出が当然となっています。

私は常々、日本の中小企業こそもっと海外に進出して、彼らの素晴らしい技術を世界に知らしめて欲しい、そうすることで現地の人々の生活を豊かにすることにも繋がると思っています。

個人的には、将来は日本の中小企業が持つ素晴らしい技術を中南米の国々に広めるための橋渡しのような仕事もしていければと考えています。

メキシコで働く上で難しいと感じることはありますでしょうか。

私はどのようにしてメキシコ人と一緒に働くか、 管理者の立場になればどのように働いてもらうか、ということが最大の課題だと思います。

その中でもやはり苦労するのは、意思疎通の難しさです。

もちろん言語能力の問題もありますが、 それよりも大切なことは意思を通わせようとする姿勢だと思っています。

私は現地の職員も含む部下には、ポパイの話をします。

唐突ですが、ポパイの力の素は何ですか?と尋ねます。すると必ずホウレンソウという答えが返ってきます。

そこで「ホウレンソウ」の話をし、ホウレンソウには3つの重要な言葉が隠されていると話を進めます。

まず、ホウレンソウの「ホウ」 は 「報告」 で、会社の管理者として部下から報告を受けるのは当然であり、部下の方も上司に報告するのは当たり前です。

次に、「レン」は「連絡」です。その際、説明もなしに、通達や命令と称して、上から目線で言い放つだけではいけません。

「連絡」と言っていますが、これには「今私達は会社として何を目指しているのか?」「会社の幹部が今何を考えて、従業員にどのようにあってほしいのか?」といった意思の伝達の意味が含まれています。

可能な限り会社の情報は偽りなく伝えることが重要です。

そして、もっとも重要なのがホウレンソウの「ソウ」です。

もちろん「相談」という意味ですが、 これは一方通行ではなく、双方向のコミュニケーションです。「上司が部下に何を相談するのか?」 と言われるかもしれませんが、 赴任して間もない現地事情も分からない社長に何ができるでしょうか?立場上は上司であっても、分からないことは素直に、臆せず相談することが大切です。上司から相談を受けた部下も信頼されていると感じ、真摯に答えてくれます。反対に、上司が部下に相談を持ち掛けられた時には、常に真摯になって相談に乗り、お互いに向き合い、悩みながらも解決していくべきだと考えています。

長年のご経験を通して、中南米や海外で仕事をする上で、大切にされていることがあれば教えてください。

人になにかを教えられるほど多くの経験もしていませんが、私が常に心がけている3つの信条をお話させて頂きます。

一つは「情熱」 “Pasión”

何事に対しても情熱を持ち、壁にぶつかっても諦めず勉強して解決策を模索する。

もう一つは「謙虚」 “Modestia”

奢らず、上から目線にならない。それでは周りからの信頼は得られません。

最後に「誠実」 “Honestidad”

人に対して、何事に対しても誠実に向き合う。これは人と人との信頼関係の基だと思います。

中南米に約35年関わる私の経験上、世界中のどこの国でも同じだと思うのですが、ラテンアメリカの人たちはこの3つを大切にしていると、ちゃんと理解しようとしてくれて信頼をおいてくれると信じています。

メキシコや海外で働く若い世代に対してメッセージを頂けますか。

若い方にはまず、今与えられている仕事を徹底的に学んで欲しいと思います。

それは間違いなくいつか次の自分のやりたい仕事に役に立ちます。

自分が今後なにをやりたいのかとか、今の仕事は本当に自分の成長に繋がるのかと悩んでいる若い方も多いかもしれません。

しかし、その頑張りは必ず、今後の自分に返ってきます。

それを信じて、まずは今与えられている事について全力で勉強をしてみてください。

最後に

偉そうなことを言いましたが、私自身もまだまだ勉強している最中です。

私は、ラテンアメリカの「エキスパート」になりたいと思っています。

専門家を表すのに、「プロフェッショナル」「スペシャリスト」などの表現もあると思いますが、私が本当に目指したいのは「エキスパート」です。

会社に入ったり、仕事を始めると給与がもらえてお客様がいる時点で新人であろうと、あなたは「プロフェッショナル」です。

お客様からしたら、入社時期などは関係ありません。プロである以上、仕事をこなさないといけません。

さらに特定の分野に従事する人はスペシャリストと呼ばれますが、これも同様です。

一方「エキスパート」はそれなりの経験、熟練の域に達しなければなることができません。

これは歳をとったからなれるわけでもありませんし、若い方でもエキスパートになることができます。

ただし、しっかりした考え方と十分な勉強が必要です。

私がラテンアメリカのエキスパートになるためには、もちろんまだまだこれから勉強が必要だと思っています。

これまでもこれからも、人生は常に勉強です。

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