メキシコ女流画家の素顔とは?フリーダ・カーロの親族を訪ねて

メキシコの現代絵画を代表する画家であり、その数奇な運命をモチーフにした作品は世界中のファンを魅了しているフリーダ・カーロ。彼女の素顔とはどのようなものか。今回、フリーダのいとこであるグアダルーペ・カルデロンさんと、グアダルーペさんの甥であるロべルト・ベハールさんにフリーダの「短く、若かった47年の人生」を語ってもらいました。(記事 : mexicoshimbun社 原文まま)

出典 - http://shimbun.mx/

マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン。

メキシコの現代絵画を代表する画家であり、その数奇な運命をモチーフにした作品は世界中のファンを魅了しています。しかし、生死を彷徨うことになった交通事故、同じく画家であるディエゴ・リベラ氏との結婚・離婚・そして再婚、また、革命家レオン・トロツキーとの情事など、その破天荒な人生のストーリーに注目が集まりがちです。彼女の素顔とはどのようなものか。今回、フリーダのいとこであるグアダルーペ・カルデロンさんと、グアダルーペさんの甥であるロべルト・ベハールさんにフリーダの「短く、若かった47年の人生」を語ってもらいました。

常に愛に満ち溢れた人だった

>グアダルーペさん

フリーダはとても家族を愛しており、いつもきまって私たち家族のもとへ来ていました。そんなとき彼女はいつも、「Micariño(愛しき人)」とか「Miamor(愛する人)」など家族に声をかけてくれたのです。とても愛情にあふれた人でした。でも反面、すごくお茶目なところもありましたよ。例えば、フリーダの妹クリスティーナが、自分の子供と私をフリーダに預けて外出したことがあるのですが、本当は早めに寝かせる約束だったのに、私たちの背中に絵なんか描いて、一緒にワイワイ遊んでいました。そうすると、戻ってきたクリスティーナは、私たちが遅くまで起きていることに驚いて、しかも背中の絵をみて「早くお風呂で落として来なさい」と凄く怒っていました。でも、その光景を見てフリーダは笑っていましたね。いつも家族を楽しませてくれる人だったのです。

>ロべルトさん

それでいて、フリーダはとても自由な人でした。あの時代の中では、とても先進的な人だった思います。私が10代だった時は宗教が生活に大きく影響した時代だったのですが、ある日シスターからもらったスカプラリオ(熱心な信者が着用する首飾り)を身に着けて、フリーダとあったのです。それを見た彼女が「何をつけているの」と問いただしました。私が「シスターがくれたのです」と答えると、フリーダは「そのシスターに言いなさい、ふざけるなってね。ロべルト、そんなものはとりなさい」と、言ったのですよ。彼女は型にはまるのがとても嫌いだったのです。

またとある日、私がメキシコの地図を模写するという宿題していたのですが、それを見たフリーダがいきなり私の宿題を奪い去り、そしてぐちゃぐちゃになるまで紙を破り、「何かを模写しないで、自分で1から書きなさい」と言い放ったのです。私は驚きのあまり、泣いてしまったのですが、書き終えた粗末な地図に、フリーダが自分のサインを記した後、「馬鹿な先生にこれを渡しなさい」と言ったのです。きっと、彼女は誰かの真似をするなと言いたかったのだと思います。ちゃんとこの宿題は合格したので、今となっては笑い話ですけどね。

彼女が描いたのは「痛み」ではなく「乗り越えた壁」

>グアダルーペさん

彼女の作品の多くは、病院のベッドで血まみれになりながら横たわっている自画像や、矢が刺さった顔がフリーダの人面鹿など、少しアグレッシブなものです。一見すると自分の痛みを、絵を通して伝えたかったのかと思われるかもしれません。けれども、私個人的には、あれは「乗り越えていった壁」なのだと思います。事故で生死をさまよった時でも、子供が産めないとわかっても、ディエゴが浮気をしても、どんな問題が起きても前へと進んでいきました。フリーダは強い女性だったのです。

出典 - http://i1197.photobucket.com/albums/aa427/plginrt-project/3604cups/deerpreview_zps4dc5e320.jpg

>ロベルトさん

晩年は病気が進行していましたが、必死で生きようとしました。病気が進行し、指の切断も考えなければいけない時「どんな指でも切って構わない。でも絵を描くときに使う指だけはお願いだから切らないで」と言っていました。彼女は絵を描くことを止めませんでした。彼女の晩年の絵が、スイカであったり果物の絵が多いと思いますが、それは、スイカで言うとしましま模様が「人の笑顔のようだから」と好んで描いたと記憶しています。人生いろいろあったが、楽しかった、充実していたと本人は思っていた。こういった作品は、自分の人生への手向けだったのだと思います。

出典 - http://i257.photobucket.com/albums/hh213/Loreleisang/Favorite%20Works%20of%20Art/vivalavida.jpg

彼女の人生が違っていたら、画風が変わっていたかもしれない

>グアダルーペさん

フリーダに関して書かれた本では、「母親の愛情を感じられなかった」と家族と確執があったように書かれているものもありますが、少なくとも私は、彼女 が母親のことを悪くいったことを聞いたことがありません。ディエゴが妹のクリスティーナと浮気したこともありましたが、彼女は独立していた人だったから、家族と仲が悪くなったということはありません。今では彼女は世界中で有名ですが、彼女が有名になったのは、彼女の死後。みなさんにとって、フリーダは著名でスキャンダラスな画家とみているかもしれませんが、私たちにとっては家族の一員だったのです。

>ロべルトさん

彼女はもしかしたら生まれる時代を間違えたかもしれませんね。今だったら、もっと世間は彼女の生き方を受け入れていたことでしょう。彼女の人生がもし違っていたら、違った絵を描いていたと思います。画風も変わっていたでしょう。彼女は怪我などで身体的には出来ることが制限されていましたが、精神的にはとても強かった。時代の先駆者だったのですよ。

取材を終えて。

今回取材では、フリーダが家族にあてた手紙や、グアダルーペさんの誕生日に送った自家製のパラパラ漫画などを見せてくださり、彼女が家族を愛していたことが伝わってきました。

最後に、現在美術館となっているフリーダの生家に関するトリビアを教えてくれました。

>ロべルトさん

あまり知られていませんが、フリーダの家であった美術館では、人の行き来をしやすくするため、ベッドなど家具の一部を動かしているのです。彼女が寝ながら絵を描いていたベッドは、実は、今は通り道となっている部屋の隅っこにあったのです。そこには鏡があり、冬の間に息を吹きかけ、指で簡単な絵を描くのがとても好きでした。ある日、鏡にドアのようなものを指で描いて、「私はここから外にいくわ」と冗談に言ったことが今でも印象に残っています。

(記事引用 : mexicoshimbun社)

mexicoshimbun社 Facebookページ
1/1
お気に入り

特集

amigaピックアップ