マヤ文明やテオティワカン文明といった有名な古代文明が存在するほど長い歴史を持つメキシコ。そんな国の歴史を一から学ぶのはとても大変ですよね。まずはメキシコの紙幣に載っている人物からメキシコの歴史を覗いてみましょう。
現在の紙幣
メキシコの通貨はメキシコペソです。現在流通している主な紙幣は、2006年に発表されたもので、20ペソ、50ペソ、100ペソ、200ペソ、500ペソ、1000ペソの6種類があります。
これらの紙幣に載っている人物は歴史上どのような重要性があったのでしょうか。
20ペソ紙幣:ベニート・フアレス
20ペソ紙幣に印刷されている人物は初の原住民出身大統領として「建国の父」とも呼ばれているベニート・フアレスです。彼は1806年にオアハカ州に先住民サポテカ人の子供として生まれました。12歳のときにそれまでサポテカ語しか話せなかったためスペイン語を学び、地元の科学芸術学院で法律の学位を習得しました。法律で身を立て、州議会の議員を経験したのち州知事の職に就きました。
その後、メキシコ=アメリカ戦争が勃発し、アメリカ軍にメキシコシティを占領されたメキシコはアメリカへの領土割譲を行い当時の領土の約半分を失いました。これに反対したフアレスは大統領サンタ・アナに追放されましたが、サンタ・アナ独裁政権が倒れると、法務大臣として政権に加わりました。1857年には、議会政治や信仰の自由、教会特権の停止などの内容を含んだメキシコ初の民主主義憲法であるメキシコ共和国憲法の制定に献身しました。
フアレスは自由主義改革を推し進めようとしましたが、保守派との対立が激しく、レフォルマ戦争に発展してしまいます。そこで勝利したフアレス率いる改革派は自由主義政権を成立させ、教会財産没収などの改革を始めました。
しかし、フアレスの前に新たな壁が立ちはだかります。1861年には自由主義政権の改革派を弾圧しようとフランスのナポレオン3世がメキシコ出兵を行い、メキシコシティを占領しマクシミリアンを新皇帝に据えました。この皇帝軍に対してフアレスは抵抗し続けフランス軍を撤退させることに成功しました。
フアレスは1867年に凱旋し、大統領選挙を経て正式に大統領となりました。
彼は生涯を通してメキシコの独立を目指して戦った人物としてメキシコ人の記憶の中に生き続けています。
50ペソ:ホセ・マリア・モレーロス
現在の50ペソにはスペイン領植民地であったメキシコにおける独立革命にて当初の指導者ミゲル・イダルゴ神父の遺志を引き継いだ優秀な指導者であるホセ・マリア・モレーロスが使われています。
彼はイダルゴ神父が学長を務める神学校を卒業後、メキシコのローマ・カトリック教会の神父の職に就きました。1810年に始まったメキシコ独立革命においてイダルゴ神父の説得を受け革命派に参加しました。彼は戦略家としての才能があり、様々な戦闘で勝利を収めました。議会を設立しスペインからの独立を宣言しますが、その後革命派が劣勢になり、モレーロスはスペイン軍に捕らわれ処刑されてしまいます。
彼は現在までメキシコの英雄とされ、モレーロス州やモレリア市というような地名にもその名前が使われています。
100ペソ:ネサワルコヨトル
100ペソの人物に関しては15世紀まで歴史をさかのぼります。その人物とはかつてメキシコ盆地に繁栄していたテスココ王国の支配者であるネサワルコヨトルです。彼は16歳のときにテソソモク(テパネカ王)の家来に父親を殺され、長い間迫害を受け苦しい青年期を過ごしました。ですがその後アステカ族のテノチティトラン王とともにテパネカ王国を打倒し、王位に就きました。彼はアステカなどと三都市同盟を組み、約40年間ネサワルコヨトルはテスココ王国に黄金期をもたらしました。
彼は指導者であるとともに詩人や哲学者、戦士、そして建築家と多才でした。指導者としては、テスココ王国に法の支配や才能があるものへの奨学金制度、音楽アカデミーなどを取り入れ、周辺の地域に大きな影響を及ぼしました。
テスココ王国は当時「西洋のアテネ」と言われるほどに庭園、彫刻、水路システムなどが芸術的にも技術的にも素晴らしいものでした。王であるネサワルコヨトル自身も偉大な建築家であり、彼が設計したと言われている堤防はその後10年以上にわたって使用され、これによって彼はアメリカ大陸最高の建築家としての評判を得ています。彼が書いた詩も有名で、今でもメキシコ人に愛されています。
200ペソ:ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス
ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルスは恋愛や女性の社会的抑圧をテーマにした詩を多く残し、17世紀のスペイン語文学を代表する詩人です。彼女は10歳にして副王宮廷の侍女に採用され、そこで様々な知識人との交流を得て勉学に励みました。17歳で様々な学問分野の博士四十名を前にして口頭試問を受けた際には見事すべての難問に答えたという話もあります。元々結婚に興味がなかったフアナはその後修道院に入ることで勉学と詩作に打ち込みました。作家としてのキャリアを積み、新副王妃に気に入られたことにより修道女でありながらも恋愛や女性の社会的抑圧などをテーマにした世俗的な詩や作品の執筆ができたようです。
そんな彼女の作品のうち、200ペソ紙幣にも印刷されていて、メキシコ人なら誰でも知っているという有名な一節がこちらです。
“Hombres necios que acusáisa la mujer sin razón,sin ver que sois la ocasión de lo mismo que culpáis (...)”
”頑迷なる男たちよ、
故もなく女を非難するのは、
自らが原因であることを見ぬがゆえ”
彼女の考えや強さが現れている一節です。フアナは、時代や身分、性別に捕らわれず自らの才能を惜しみなく発揮することに精励した強く、聡明な女性です。
500ペソ:ディエゴ・リベラ
20世紀を代表するメキシコの画家。彼は若干10歳にして美術学校に入学したのち、その才能が認められ奨学金を得てスペインやパリで絵画を学びました。彼はパリでの留学中、パブロ・ピカソに代表されるキュビズムの影響を大きく受け、その作品が注目されるようになります。メキシコへ帰国すると、メキシコ革命下のメキシコ壁画運動の中心人物になり、壁画を媒体に民衆へ社会主義革命の意義やメキシコ人としてのアイデンティティーを伝えるために、インディオの伝統に基づいた作品を精力的に作成しました。
リベラの配偶者として有名な人物は画家のフリーダ・カーロですが、彼は生涯のうち何度も結婚経験がある上に、女遊びが激しかったそうです。さらに、フリーダ・カーロへの家庭内暴力や、共産党からの除名といった出来事にも表されるように気性はかなり荒かったようです。
そんなリベラですが、作品は本当に素晴らしくメキシコが誇る画家であることに間違いはありません。彼の作品はメキシコの公共建築や彼の美術館、博物館で見ることができます。
1000ペソ:ミゲル・イダルゴ
「メキシコ独立の父」ミゲル・イダルゴはメキシコの独立運動指導者です。彼は神学を学び、司祭になったのちも教鞭をとり、教育改革に尽力しました。教育面だけでなく、陶芸や養蚕といった事業を推進し、先住民や混血民が中心の貧困者の状況の改善を目的とした活動に従事しました。
1810年9月16日に、グアナファト州の小さな町ドローレスの司祭であったイダルゴは民衆を集めると、武器を配り、スペイン植民地政府や支配階級のスペイン人に対し蜂起しました。イダルゴらの蜂起は当初、植民地支配に対する農民反乱でしたが、これはのちにメキシコが独立を獲得するまでに発展します。イダルゴの蜂起を聞きつけた先住民やメスティーソは共に立ち上がり、その群衆は2万を超えるほどの大きさになったと言われています。
彼らは多くの都市を支配階級の人々から解放することに成功しましたが、政府軍の抵抗にあい、イダルゴはアメリカ合衆国に逃げようとしていたところを捕らえられ、異端と反逆の罪で銃殺刑に処されてしまいました。イダルゴが生きている間にメキシコの独立が達成されたわけではないのですが、彼が民衆のために立ち上がった9月16日は今でもメキシコの独立記念日に指定されています。さらにメキシコの独立後には彼をたたえてドローレスの町はドローレス・イダルゴと改称され、イダルゴ州も彼の名前にちなんでつけられました。
最後に
普段何気なく使っている紙幣の人物について学ぶだけでもメキシコの歴史が見えてきます。ですが、古代文明も多く存在していたメキシコの長い歴史について学ぶことはまだまだありそうです。