大学を中退後、中南米放浪を経てメキシコに辿り着いた日本人青年

東京都に生まれ、大学で建築を学んでいたにも関わらず、大学を中退し中南米の旅へ。Encounter Japanでのインターンを経て、現在はレオン市内のGOENにてマネージャーを務める、小川くんにこれまでの人生について伺いました。*GOENのお得なキャンペーンも記事の最後に明記していますのでぜひご覧ください!

転校を重ねた幼少時代

僕は東京都立川市の出身ですが、親が転勤族であったことから小学校4年生の時に伊豆大島へ転校し、小学校六年生の時に神奈川県の茅ヶ崎市に再度転校しました。小学校6年間で2回の転校を経験しましたが、幼い頃は時間をゆっくりかけて友人関係を構築していたので、転校するのはとても嫌でしたね。

しかし、どちらの統計データかは忘れてしまいましたが、僕が人生で最も長い時間を過ごした茅ヶ崎は日本の住みたい街ランキング3位にもなるほど住みやすい町で、海と山に囲まれた恵まれた環境でした。

両親は大学入学までは非常に厳しく、部活では運動部への所属を強制され、小学生の時には坊主を強要されていたのですが(笑)、大学に入学してからは両親から自分の人生に対してレールを引かれるようなことはなくなりました。

大学は、地元から一番近くの大学の建築学科に特待生として入学することになります。大学の学費を自身で賄う必要があったため、特待生として一番入りやすい大学と学科を選択しました。建築に対しての憧れがあったわけではなかったのですが、昔から絵を描くことには自信があったので、そのスキルを建築業界で活かすことが出来ると考えていたんです。

授業についていけなくなった僕の居場所は魚屋だった

大学に入学して数ヶ月も経たない間に、僕は授業についていくことが出来なくなりました。建築は絵を描くイメージだったのですが、想像以上に周りの同級生は絵を描くことも上手だし、何より建築に対しての思い入れや情熱が僕には欠けていたんだと思います。当時は非常に辛くて、「このままじゃ終われない。負けたくない」と思いながらも日が経つにつれて同級生との距離は開いていくばかりで、大学内に友達が増えることなく悶々とした日々を送っていました。

それでも大学は卒業しておきたいという一心で合格点ギリギリのラインで試験をやり過ごす中で、ある日、嬉しいことに彼女が出来たんです。彼女とデートするにはお金が必要だ、ということでアルバイトを始めることになったのが魚屋でした。魚の内臓を取り除くことや掃除全般が当初の業務内容でしたね。この後、晴れて彼女と同棲することになったのですが、魚屋でバイトをしているせいで、仕事終わりには魚の匂いが全身に纏わりついてしまったことが原因なのか、真意が分かりませんが、働き始めて3ヶ月が経ったころに彼女にも振られてしまいました(笑)。

学校も楽しくない、彼女にも振られてしまった、まさに灰色の学生生活を送っていたのですが、目の前にある魚屋での仕事を通じて何かを取り返したいという一心でより仕事に向き合うことになります。アルバイトスタッフは僕1人だったので、周りの大人の方々が僕のことを非常に可愛がってくださり、徐々に魚を捌く仕事も与えてくださるようになりました。「魚を捌く」というスキルはもちろん、バイト先である魚屋が自分にとっての居場所になっていきます。結局、合計4年間を魚屋で働くことになったのですが、まさか当時の経験が今の自分にとって強みとなるとは思いもしませんでした。

初めてのインド一人旅を通じて、メキシコへ向かう

初めて海外に出たのは大学2年生の時で、当時の僕は彼女を失い、大学での授業にもついていけない日々の中で自信を失っていました。「海外一人旅」や「インド」というワイルドな響きに憧れ、停滞感のあった自分を変える、何かが得られるんじゃないかと感じてインドへの一人旅を決意します。

色んな憧れを持ってインドに行ったものの、地下鉄に乗った時にインド人のスリにカバンに手を入れられたりと、滞在初日から嫌な経験ばかりだった僕はホテルに引き篭もりました。それでもリキシャや車のクラクションや雑音が大音量で窓ごしに聞こえてくる中で、「もうインドのことを忘れたい」と思うのですが、どうにもこうにも逃げられない。

僕は1週間の滞在でさえ我慢できないと思い、10万円の追加料金を払って日本へ帰国しました。海外での旅を通じて克服したかったことや拭えない悔しさを日々抱えながら日々を過ごす中で、職場の方がメキシコへ行ったことがあるという話を聞いて大学3年生の時にメキシコへ2週間の旅に向かうことにしたんです。

2週間の行程はメキシコシティ、グアナファト、グアダラハラで考えていました。メキシコシティは3,4日間の滞在を予定していたのですが、街中でメキシコ人の女性にナンパされたことをきっかけにメキシコシティでの滞在を延長しました(笑)。女性にナンパされるなんて、自分の人生では初めてのことだったので有頂天になっていましたね(笑)。その女性に後ろ髪をひかれながらも、僕は次の目的地に移動することにしたんです。その目的地はグアナファトでした。

メキシコに来る前から、グアナファトにEncounterという日本食レストランとホステルが開店したことを知っていたので、グアナファトではEncounterに滞在することにしたんです。当時は開店直後だったのでホステルもお客は僕だけで、現在の僕の上司である島田さん(現 Encounter Japan 取締役)が1人で店舗の切り盛りをしていました。当時は唯一のお客である僕に対して有り余るおもてなしをして頂いたことを覚えています。一緒に働くようになってからは、島田さんはとても厳しいのでEncounterにお客として滞在した日々の優しさが懐かしいですね(笑)。

「海外に住む」というイメージがなかった僕にとって、島田さんとの出会いや存在、会話を通じて自然と「自分もこういう経験が出来ればいいなぁ」と思ったんです。海外で生活するのは勿論寂しさもあり、現地人と仕事することの難しさなどネガティブな要素はありながらも、情熱を持って働き、楽しそうに生きる島田さんの姿に刺激を受けて、「またこの場所に戻ってきたい」と決断して帰国することになりました。

大学を退学し、南米大陸横断の旅へ

メキシコから帰国した後、僕はある決断を迫られることになります。4年生になると大学の研究室に入ることになるため、学業が忙しくなることから魚屋でのバイトも辞める必要が生じました。大学で学んでいた建築には将来を感じていなかったことに加え、魚屋での仕事が日を追うごとに魅力を増してきていました。同級生には「親の意見を聞いた方がいい」「卒業寸前なのに勿体ない」といった反対意見が多かったのですが、大学を辞めることを決断します。

両親には卒業直前までこの決断について話すことが出来ませんでしたが、ある日勇気を出して両親に話をしたところ、「お前の人生だから、やりたいようにやりなさい」と言ってくれたんです。激しく怒られるだろうと思っていましたが、背中を押してくれた両親には今も感謝しています。結果、大学卒業前に退学し、魚屋でのバイトを卒業までやりきった後、憧れていた南米大陸横断の旅にでることにしました。

重たいバックパックを背負い、文字通り地球の裏側にあたる南米のチリはサンチアゴに到着した僕は、Encounterのあるメキシコはグアナファトを目指して旅を始めます。実は以前にもEncounterの面接を受けたのですが、あっさりと断られたので(笑)、半年間の旅を通じて人間的にも成長した状態で再度面接に向かおうと考えていたんです。

チリのサンチアゴでは市内の路上で寿司を売る日々を送っていました。アフリカ系の方々が路上販売する中で、唯一のアジア人である僕ははたから見ると目立っていたと思います(笑)。「路上で寿司を売ったお金でブラジルにいく航空券を買う」ことを目標であり、旅の楽しみにしつつ、僕にとって大きなチャレンジでもありました。周りでは商品の没収された人や逮捕されてしまった旅人もいたので、正直ビビっていましたが(笑)、2ヶ月間をサンチアゴで「寿司売り」として過ごした後、無事航空券代を稼ぐことが出来たのでブラジルへ向かいました。

期待を胸にブラジルへ向かったのですが、ブラジル人は背も高くて怖い印象を受けました。治安も想像以上に良い場所ではないと感じたので、2週間を過ごした後に足早に陸路でボリビアへ移動しました。ボリビアではチリ、ブラジルにいる人々とは性格も見た目も全く違う印象を受けたのですが、ボリビアでは首都ラパスに在るワイナポトシと呼ばれる6,438mの山に登ることにしました。

山道を歩く最中、走馬灯のように、自身の人生を振り返っていました。大学を辞めたこと、魚屋での日々、Encounterに面接を落とされたこと、これまでの旅の風景や出会ってきた人々。色んな想いや風景が頭を駆け巡る一方で、極寒がゆえに鼻水が凍っていました(笑)。

結果、僕は5,900m程度の場所で心身の限界を感じて頂上到達を諦めることになります。凄く悔しくて、これを登れないと自分は何も達成出来ないのではないかとまで思って登山に望んだにも関わらず、僕は下山することにしたんです。

ペルーのクスコで「日本人」として稼ぐ

ワイナポトシ登頂を達成できなかった後、僕の中で心境に変化が生じました。南米横断の旅は、自分にとって「楽しい時間になればいい」と思っていたのですが、中南米で仕事を探して住むんだということを決意したんです。それからは、旅をしながら一日3,4時間はスペイン語の勉強を行う時間を設けるなどして、「何かを得る」旅にしようと考え方を変えました。

ボリビアを過ごした後、ペルーのクスコに辿り着きます。クスコはヨーロッパの古い町並みが残る小洒落た街でした。この街で最初はペルー人の方々の名前を「日本語で書く」ことを生業に、またしても路上でビジネスを開始したのですが(笑)、そこでクスコの日本食レストラン「金太郎」のオーナーの方に声をかけていただき、「そんなことしてるんだったら、うちで働いてみない?」とお誘いを頂いたんです。1ヶ月ほど働かせて頂いたのですが、働く日々の中で出会うペルー人のスタッフの適当さに心底驚きました(笑)。おつかいに出て行った人がそのまま帰ってこない、雇用しても1日で退職してしまう。これらの経験もあったので、今はメキシコ人はなんて真面目なんだ、と思わされますね。笑

こちらのオーナーの方にも、「働く気があるならビザも出すよ」と仰って頂けたのですが、旅を続けたいことを告げて北に向かいました。クスコでの日々がきっかけで、「僕は日本食レストランをやりたい」と思えたんです。

ペルーから北上し、エクアドルを経てコロンビアのカリに到着しました。カリは美女やサルサなどで有名な街で、街中を歩く半分以上の女性が絶世の美女であったことに感銘を受けました(笑)。街中でバスに乗っているだけで「どこに行くの?」「道案内しましょうか?」と声をかけてくれるフレンドリーな国民性に衝撃を受けて、「将来はコロンビアに住もう」とコロンビアに着いてすぐ、直感的に決意しました。その後、コーヒー農園で有名な田舎町、キンディオにたどり着くのですが、2,3日の滞在の予定が1ヶ月に伸びてしまいました。そう、僕はキンディオで恋に落ちたんです。

コロンビアで恋に落ちる。そしてメキシコでの新生活が始まる

キンディオのホステルで滞在した僕は自然が美しく、のどかな生活を送る中でホステルで働く、シャイで日本文化に興味があるコロンビア人の女の子と恋に落ちました。観光地でもなく、特別やることのないこの町で僕は彼女とたまに郊外へデートに行ったり、スペイン語を教えてもらったり。緩やかに過ぎる時間を彼女と過ごしながら、僕は「この子とコロンビアに住もう」と改めて、固く決意したんです(笑)。ただし、このままコロンビアにいても自分で稼ぐ力もないし、彼女のヒモになってしまう気がして(笑)、やはりEncounterで働くことを決意しメキシコへ向かいました。

Encounterのメキシコシティのオフィスに向かい、社長の西側さんとお話させて頂いた後にグアナファトで面接させて頂くことになりました。当時のインターン生も交えて面接させて頂いた後、無事合格を頂きました。そして、2017年10月19日からグアナファトでの仕事が始まるのですが、想像以上の厳しい日々が始まるとはこの時、思いもしていませんでした。

当時いた社員は役員が中心で、正社員は今より少なく、自分よりも年下のインターン生メンバーが非常に多かったのですが、年下のインターン生の子たちが戦国時代の侍かの如く長時間かつ誠心誠意仕事に打ち込んでいる姿を見て、完全に怯みました(笑)。レストランの営業が終了した後でも、そこからPCを開いて働く年下の女子大生を見て「僕は場違いかもしれない」とまで思ったことを覚えています。

働き始めてすぐ、僕はこのメキシコ情報サイトamigaの運営とEncounter guanajuatoの運営を担当することになったのですが、先輩インターン生は優秀かつ仕事ができるメンバーばかりだったので、当時は怒られてばかりでした。皆に怒られているのは、八つ当たりではなく仕事の内容やスピードが足りていなかったためでしたので、自分の未熟さを認めざるを得ない状態でした。精神的にも辛かった当時の僕を支えてくれたのは、「コロンビアに帰って彼女と住む」という目標の存在のおかげでした。2018年に入ってから、そんな僕に人生の転機が訪れます。

「レオンの新店舗立ち上げに行かないか?」

2018年の1月に、島田さんからレオンの新店舗(GOEN)立ち上げに関わって欲しいと言われました。地元の魚屋で働いていた時のような「頼られている」と感じたことで、話を聞いた時はとても嬉しかったです。この時期から自発的に仕事に取り組むようになり、社員の方々や役員の方々とのコミュニケーションが圧倒的に増えてきました。「自分がいなくても回る」と感じていた当初から「自分がいないと実現しないものがある」状態に変わったことで会社の一員であることを以前にも増して感じながら、GOENの立ち上げの準備を進めていました。

デリカミツの食事や世界遺産のグアナファトの街並みは大好きだったし、レオンは治安もグアナファトより良くないと聞いていたので怖さも感じていたのですが、「期待」の気持ちが上回っていました。

2018年5月、満を持してレオンに引っ越した僕に待っていた日々は、これまた想像以上に厳しい日々でした。3ヶ月間の内装工事期間が始まったのです。開店を6月末に予定していたものの、5月の段階で内装は北斗の拳の世界のごとく、荒廃した状態でした(笑)。工事をしてる職人さんが数名作業するものの、作業のスピードは遅く、現場の責任者だった方は休憩を頻繁にとって17時以降は働かない、といった状態で、このままではいつまで経っても開店できないという焦燥感から僕、島田さん、現料理長の宮内さんも内装工事を手伝うことになります。

GOENの内装を見渡すと、白い壁が一面に広がっていると思いますが、その9割近くは僕が塗ったものです(笑)。大工としての能力を上げながら、メニュー開発と原価計算、シェフやウェイトレスの採用についても対応していたので、まさしく「てんやわんや」な日々を送っていました。

泣きっ面に蜂とはまさにこのことで、当時コロンビアで恋に落ちた女の子から別れを告げられ、プライベートも上手くいかずこの頃は心身ともに辛かったですね。オープニングパーティの1週間前になっても、店内の空間は完成後の絵が想像できないほどに工事の進みは遅く、最終的にEncounterのクリエイティブディレクターである片野さんや社長の西側さん、グアナファトのメンバーまでもが内装工事を手伝ってくれました。全員が睡眠時間を削って、心身ともにボロボロになりながらもなんとかパーティーの1時間前に内装が完成しました。

「日本人とメキシコ人が一緒に創っていく場所」

オープニングパーティでは、招待させて頂いた多くの方々が集まって下さり満席の状態でした。自分が採用したシェフのメキシコ人メンバー達が元気よく駆け回りながら料理を作っている光景が心に焼きついています。最高の瞬間でしたね。今は日常となった光景で、忘れてしまいそうになりますが、あの夜を思い出すと色んな方々や機会に感謝しなければならないと感じます。

こうしてオープンしたGOENも半年弱の時間が経ちましたが、いまだにトラブルも嬉しいことも日々あります。

沢山の日本人の方々にもお越し頂いており、もっと皆様に喜んで頂ける料理や空間、体験づくりが出来ればと考えています。ここ数ヶ月で最も印象に残ったことはメキシコ人のシェフに言われたある言葉です。

「今まで僕は日本人に対して決して良いイメージが無かったけれど、ここで働けてイメージが変わったし、皆のことが大好きだよ。これからも宜しくね」

日本人のメンバーのみならず、メキシコ人の仲間がこうやってGOENに対して愛を感じてくれる瞬間が嬉しく、日々のモチベーションに繋がっていますね。シェフのメンバーは良くも悪くもやんちゃなメンバーが多く、女の子が大好きなシェフもいるのですが(笑)、彼らも仕事とプライベートはしっかりと切り替えており、サービス担当の女性に対して厳しい意見を言うなど、彼らのプロ意識や仕事に対する姿勢から僕たち日本人も多くのことを学ばせてもらっています。

メキシコ人と働く難しさを日々感じながらも、やはり日本人とメキシコ人がお互いの知恵を絞りあって一緒に働くことをロマンだと感じています。店舗の利益も大事なのですが、メキシコ人の仲間とはもっと関わって、彼らの良さを活かしながらより素敵な場所作りが出来ればと思っています。

「駐在員の方々も、僕たちも『何か』と戦ってると思うんです」

日々、沢山の日本人の方々にもGOENにお越し頂いており有難い限りです。カウンターに座って頂き、お話をさせて頂く常連の皆様や宴会で利用頂いてる皆様にはこの場を借りて感謝申し上げます。

僕は自分の判断で、メキシコが好きでメキシコに住んでいますが、企業にお勤めの皆様の中では「日本に帰りたい」「メキシコにいると寂しい、怖い」といった感情を持たれている方々も少なくないかと思います。

自ら決断し、メキシコに住んでいる僕自身も、同じように寂しくなったり、言葉にできない不安に駆られることもあります。駐在員の方々も、僕たちもきっと不安や責任を抱えながら日々を生きる中で何かと戦っていると思っています。皆様とはゆっくりお話させて頂く機会はなかなか少ないのですが、僕は日本人の皆様は同じメキシコで戦う仲間だと思っています。なので単に「日本食」を提供する場所や人という観点以外にも、僕たちに出来ることもあり、相談相手になることだって出来ると思っています。僕たちはそんな存在であり居場所になりたいと思って、GOENのコンセプトを「Mi casa es tu casa」と決めたんです。

GOENは確かに名目上は飲食店ですが、日本人の方々に寄り添った気持ちを今後も大切にしていきながら、「心のこもったサービス」と「オーセンティックな日本食」を提供していければと思っています。

将来はコロンビアの海辺で自分の店を

僕はまだまだ修行の身ですが、将来的にはコロンビアの海沿いに海鮮系の飲食店を立ち上げたいと思っています。今は構想段階で漠然としていますが、必ず実現したいと考えています。GOENのように大きな店舗ではなく、こじんまりとしたカウンターのみの自分の店を作りたいですね。自分でキッチンに立って、経理もやって、毎日5,6人の方々に料理を提供する。日本人の方々にもコロンビアの方々にもお越し頂き、皆様と会話をしながら、僕自身も楽しめる空間を作りたいと思っています。

将来の僕の店舗に投資をしてくださる方を募集しておりますので(笑)、GOENにお越しの際にはお気軽にお声掛けください!

GOENホームページ

小川さんのインタビュー記事、如何でしたでしょうか?!

こちらのインタビュー記事をご覧になられた方はぜひGOENにお越しの際に「amigaで小川くんの記事を見ました!」と会計時にメセラへお伝えください。全商品10%OFFの特典とさせていただきます!そして、小川くんをGOENで見かけた際にはぜひ気軽にお声掛けくださいね!

割引特典は4月30日までです。是非この機会にGOENをご利用ください!

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