サッカーから芽生えた関心
―働き始める以前にも、メキシコや中南米への関心やその地域との関わりはございましたか。
中南米に興味を持ったきっかけはサッカーでしたね。僕は中学校からずっとサッカーをしていたのですが、それは1979年のことで当時の日本にはまだサッカーブームもないような時代でした。サッカーに関するニュースはほとんどなく、数少ない情報は欧州か中南米のものばかりで、当時活躍していた選手はマラドーナやラモン・ディアスといった中南米の選手が多かったことから自然と「中南米」に興味を抱くようになりました。特にパラグアイのクリオサス・ロメロ選手の熱狂的ファンだった中学2年生の頃、彼がユースチームの遠征で神戸に来たときに、チームの練習風景を覗きにいったんです。彼のサイン欲しさに滞在先のホテルに向かったのですが、当時の僕は英語も話せず、好きな選手が目の前いる状況でも声をかけられずにいました。そんな時、僕の隣にいた女性がスペイン語で選手達に声をかけたんです。その後、どわっと選手達が寄ってきてくれたお陰で、サインを貰うことが出来ました。これが僕とスペイン語の最初の出会いでもありました。出会いと言ってもそのときは専らサッカー少年で、言語を勉強しようなんて思ってもなかったので「言葉が通じるって素晴らしいな」と漠然と思った程度でした。
―森藤さんにとってメキシコとの出会いはいつごろでしたか?
メキシコの地に初めて足を運んだのは1988年10月でした。それまでも中南米への漠然とした興味は持っていたのですが、実際に訪れたことはなく、どんな場所なのか直に感じてみたいと思って大学卒業を控えた大学4年生の時に旅行に来たんです。旅行の期間は1か月程度でしたが、その出会いは私のメキシコへの関心を更に強めました。
―メキシコに長く滞在したいとお聞きしたのですが、何か特別な理由はございますか。
MAZDAのサラマンカ工場(以下MMVO)は、MAZDAが75%、住友商事が25%出資している共同事業なんですね。私は住友商事で勤め始めて31年が経ちますが、その半分近くの15年を海外で過ごしており、その殆どが中南米だったため「中南米で働く」ということそのものが、私の会社生活とも言えるほどなんです。メキシコに限った話ではないのですが、これまで培ってきた経験や知恵を最も活かせるフィールドがメキシコや中南米だと考えており、出来ることなら会社生活が終わるまで中南米で働き続けたいと自然に思う部分もありますね。
知れば知るほど好きになる場所
―メキシコは日本から遠く離れた土地ではありますが、メキシコで働くことに対する特別な思いはありますか。また、日本に帰国したいと感じることはありませんか?
住友商事に就職後、語学研修を通じて世界遺産の街であるサン・ミゲル・デ・アジェンデに滞在していたのですが、滞在期間中の休暇を活かして、メキシコの主立った場所の殆どへ旅行に行きました。やはりメキシコの街や文化について知っていることが多くなればなるほどその地への想いも強くなりますよね。
日本へ帰りたいという気持ちは現状あまり無いですね。もともとメキシコや中南米へ関心があったこともあり、若い頃は特に帰国したいと考えることはなかったですね。年を重ねるに連れ、家族を日本に残してきていることもあって日本への郷愁の想いも少しずつ生まれてきましたが…(笑)
―森藤さん自身が多くの場所に旅行をされている中で、特にここはおすすめしたいと感じる場所はありますか。
様々な場所へ訪れましたが、個人的にはグアナファトが一番素敵な場所だと思いますね。現在の生活拠点がグアナファト州にあるというバイアスもなくはないですが、スペインの影響を受けたコロニアル風の名残りある風景だったり、小ぢんまりとした街のサイズ感など、おすすめしたい要素が詰まっている街です。人口の多い都会的な街ってどこの国にもあるじゃないですか、都会になれば違いも少なくなりますし面白味も減りますが、グアナファトは良い意味で都会じゃないんですよね。グアナファトやサン・ミゲル・デ・アジェンデのような、昔の風景が残っていてのどかな場所は魅力的だと感じます。最近は治安対策で無闇に出歩かないようにと社内外に対して喚起していますが、日本人の方々には安全対策に注意して沢山の場所へ訪れて欲しいと思っています。
市と州と連邦と、大切なことは「協力と意識」
―治安に関するお話も出ましたが、最近のグアナファト州の治安状況についてお話頂ければと思います。
グアナファト州の治安はMMVOが進出した2011年頃に比べると確かに悪化していますが、州政府を始めとした各政府機関についてもその認識や問題意識を持っており、州知事の演説や市長との会談の中でも治安改善を最優先事項として対策を行っていると伺っています。連邦政府としてもグアナファト州の治安改善への動きが始まっており、MMVOの在るサラマンカ市への直接的な支援も開始されているほか、イラプアト市では連邦警察の駐屯所が日本人学校の近くに配置される予定です。このように連邦警察の力を借りながら、連邦、州そして市が連携して対策を行っていけば徐々に治安問題は改善されていくと考えています。
また治安の問題については、個々の自己管理を徹底して欲しいと思っています。常に「自分の身は自分で守る」というマインドを持って欲しいと考えています。実際にあった事例を紹介したり、それに対する皆さんの意見を聞いたりして、個人個人が犯罪に対する意識を持ってもらう為の活動を商工会議所などで行っていますが、自分自身でしか守れない部分は少なからずあると考えています。例えば歩きながら携帯を見たり通話をしたりをしない、車内には荷物を残さない、危険だと言われている地域に行かないなど、最低限の対策はしっかりとして頂きたいです。これはメキシコに限った話ではなく、海外に住む、旅行する、出張する方々は特に意識を徹底してほしいですね。
先頭に立つからこその務め、目指すものは「良き企業市民」
―メキシコ、特にバヒオ地区においてMAZDAは先駆者的企業であり、多くの企業や行政などから期待されることも多々あるかと思いますが、MAZDAとしての社会における役割についてはどうお考えですか。
MAZDAとして、メキシコ社会と日本人コミュニティに対してどのようなことができるかということを問い続けるべきだと思っています。日本人コミュニティに対しては治安対策への貢献がその役割の1つであると考えており、先ほど述べた様に、州や市とのコミュニケーションはもちろんですし、日本人への防犯意識の構築などもこれに含まれると思います。
メキシコ社会へという点では、「良き企業市民」であるということが、MAZDAがグアナファト州であるべき姿だと考えています。「良き企業市民」であるためにMAZDAができる社会貢献や活動は率先してやっていきたいと思っています。日系企業はメキシコにおいて外国資本の会社なわけですよね。日本人を始めとした「外国人」が運営し、「外国人」が作りたい車を製造している会社ではなく「メキシコの」会社に創り上げていくべきだと強く感じています。メキシコで製造された日本の自動車ではなく、メキシコで製造されたメキシコの自動車を目指していくべきだと考えていますね。現時点でMMVOには日本人駐在員や日本人の通訳など沢山いますが、いずれはメキシコ人によって形成されるメキシコの会社にしていきたいです。それが僕の理想で、僕の考える「良き企業市民」の姿だと思っています。
人は皆それぞれに違う
―現在日本人が就いているポストにも今後はメキシコ人を登用していきたいという思いをお伺いしました。現状の進み具合はどうでしょうか。
「メキシコの会社」になるために、メキシコ人の重要なポストへの登用は積極的に進めたいと考えています。メキシコ人が社長職に就くにはまだ時間を要するかと思いますが、マネージャーやゼネラルマネージャーへの登用は既に積極的に行っています。「メキシコの会社」になったとしても「MAZDA」であることに変わりはないので、MAZDAの考え方やフィロソフィーというところはメキシコ人にもしっかりと受け継いでもらいたいです。
メキシコ人と日本人に「人」という部分において大きな違いや特徴は無いんです。では、なぜ「違い」があると思われるかというと「文化、風習、習慣、宗教」という個人が影響を受ける外的要因が存在するためです。しかし、誤解を恐れずにいうと「全ての人々がそれぞれ違う」のです。それはメキシコ人に限った話ではなく、日本人の中でもそれぞれに違いがあり、それは「日本人とメキシコ人」の違いではないと思うのです。仕事の中で何か問題が発生したときには、あなたとあなたの部下との間でその問題を扱うのであって、「日本人とメキシコ人の違い」にするべきではないのです。それぞれの問題に対して個別に対応していかないと、解決できるものも解決できなくなってしまうと思いませんか。
―日系企業の中には、メキシコ人従業員やメキシコ人の方々との関係構築の面において課題を持つ企業も多いようですが、MAZDAでは日本人とメキシコ人の関係構築に難しさを感じる機会はありませんか。またその点で行われている対策はございますか。
従業員との関係性を作る上で大事なのは、チームのメンバーのバックグランドを考えることだと考えています。勿論、関係性を築く上での難しさはゼロではありませんが、相手に伝えたいことをはっきり伝えるという意識を持っていれば必ず考えや想いは伝わりますし、やはり日本人、メキシコ人と考えるのではなく、その人個人を意識することですね。上司から部下に対して発信していく際には、「伝えたい内容をシンプルかつストレートに表現する」ということが非常に大切です。そのため、皆が理解しやすく、かつわかりやすい言葉、表現を使うことを常日頃から意識しています。コミュニケーションの中で、長く説明することは簡単ですが、シンプルに説明することはそう簡単ではないので訓練の必要があるかもしれません。
これは2019年上半期の僕の目標にもつながってくるのですが、現在僕は工場の現場で働く従業員全員とコミュニケーションをとることにチャレンジしています。6,000人ほどが工場のラインで働いているため、一人ひとりと個々で話すことは実際問題として難しい部分もありますが、50~60人毎のセッションを沢山設けることで、MAZDAの考えや思いの部分の共有を進めています。
また関係性の構築において、問題が生じた場合にはそれを深刻化させないための、ホットラインの制度を導入しています。現在女性2名、男性1名がこれらの業務にあたっていて、直属の上司には言いにくいことなどを相談するための受け皿としての役割を担ってもらっています。これは本人の意見が忖度されずに僕の元まで届けられるように、と設けたラインでもあります。どうしても人を間に挟めば挟むほど本人の意見は見えづらくなってしまいます。一方で問題に直面している本人から直接話を聞こうとすると、当の本人は感情的になっていることから内容がしっかりと伝わってこないということもあります。ここでホットラインが僕と当事者のクッションとなり、話を整理して、僕に伝えてもらうという仕組みとなっています。
グアナファト日本人学校(イラプアト)の設立について
―MAZDAではグアナファト日本人学校の開校にも大きく関わられていたと思いますが、開校に関わる上での特別な思い等はございましたか。
以前、補習授業校開設にも関わったこともあるのですが、根底にあるものはそのときの思いと同じです。日本人の子ども達が日本へ帰国した際に、よりスムーズに日本の社会や学校生活に馴染んで、困らないような環境を作ってあげたいと考えています。補習校が提供する週1回の開講では、学校として出来ることに限界があると感じていました。日本人学校では毎日の授業が日本の教育課程に則った形で行われ、ここでは教科学習だけでなく、日本の学校や教育のシステムに触れることもできます。日本に帰国した際に、メキシコの現地学校で学習したことが長い人生の中で活かされることも確かにあると思いますが、日本の教育環境で活かすことが出来るかというと、それは難しいことではないかと感じてしまいます。生活環境、社会環境に慣れるだけでも子ども達には大きな負担が掛かってしまうため、全く新しい環境で教育を受けるということはとても大変なことになることが予想されます。だからこそ、メキシコに帯同で来られた子ども達が日本に帰国した際の負担をできるだけ軽減する存在や居場所にグアナファト日本人学校がなれればと願っています。
―特にどのような子ども達を対象に日本人学校を薦めたいですか。
ご両親の駐在を機にメキシコへ来られていて、近く日本へ帰国する予定である場合や、小中高大を日本の教育システムで受けたいと考える場合には特にお薦めしたいですね。「子供にはより沢山の海外経験を積ませてあげたい」と考える保護者の方も多いとは思いますが、メキシコで生活するだけで、非常に多くの経験が得られるはずです。例えば買い物やレストランに行くだけでも、スペイン語を聞いたり、メキシコ人の方々とのコミュニケーションが発生します。しかし日本語に触れる環境や対日本人とのコミュニケーションは意識的に努力をする、もしくは環境を準備しなければ異国の地で経験することが非常に難しいものです。母語の形成は10歳までかかるといわれています。帰国後に突然始まる日本語での教育、日本語漬けの環境に上手く溶け込むことは困難であるはずなので「子どもに海外体験をさせたい」という思いは私自身よく理解出来るのですが、特に低学年の子供たちには日本人学校などを通じて日本語、日本人に触れる機会を与えて欲しいと感じますね。
―最後に、これからメキシコで働くことを考える人々へのメッセージを頂けますか
「是非グアナファト州に働きに来てください」とお伝えしたいです。手前味噌ですが、メキシコシティよりもグアナファトをおすすめしたいですね。グアナファト州の方がメキシコシティ以上に経済がダイナミックに動いており、現地のメキシコ人との関わりが多いため、よりメキシコのことを理解出来るのではないかと感じています。また、州や市の人々、政府、各企業も日系企業や日本人コミュニティへの関心具合が非常に高く、普段はなかなか会えないような政府のトップや上層部の方々とも会える機会が多々あります。
是非お越しください。グアナファトで皆様をお待ちしております。
インタビューへご協力いただきありがとうございました。