【昔は湖だった!?】現代のメキシコシティから見るアステカ王国の名残

目覚ましい経済発展を遂げるメキシコ合衆国の首都「メキシコシティ」。人口約892万人、標高が約2,240mと高く、周囲を山に囲まれた盆地に大都市が形成されています。そんなメキシコシティがスペイン植民地時代に広大な湖を埋め立てて都市が作られたことを知っている方は少ないのではないでしょうか。今回はメキシコシティの歴史とアステカ王国の名残を垣間見ることが出来る場所をご紹介します!

スペイン征服以前に栄えたアステカ王国

1428年頃から1521年までの約100年間、現在のメキシコ中央部(メキシコシティ)にあたるテスココ湖を中心に栄えたメソアメリカ文明の国家、「アステカ」。アステカの民は「メシカ」と呼ばれています。

テスココ湖が広がるのみだったメキシコ盆地をアステカ人が開拓し、1325年に島を作り上げ、その土地に都を築いた。その都市の名は「テノチティトラン」。最盛期には人口が20〜30万人の規模となり、ピラミッドが築かれるほどの壮麗な都市であったと言われています。

スペイン人の到来とアステカ王国の滅亡と破壊

16世紀初頭にスペインがアステカ帝国を侵略し、1521年にスペイン人のエルナン・コルテスによってアステカ王国は滅ぼされました。その後スペインが植民地化を進めていく中で、アステカ王国の神殿や宮殿を徹底的に破壊し、破壊された宮殿の資材を用いてスペイン風のコロニアルな街並みが築かれた。同時にテスココ湖の埋め立てが行われ、東部以外は全て埋立地となりました。1535年にはスペインの副王が統治する「ヌエバ・エスパーニャ」がこの地に創設され、現在のソカロ広場(中央広場)周辺を中心とした歴史地区にその首都が設立されることになりました。

引き継がれる歴史と文化

メキシコシティは現代的な側面とアステカ王国からスペイン統治時代の名残を併せ持ち、世界中の人々の関心を惹きつけている。現在のメキシコシティで垣間見ることができる名所や引き継がれる文化を紹介します!

①ソカロ広場

16世紀にスペイン軍によって壊されたアステカ王国時代の神殿跡地に造られた中央広場がソカロ広場。そこにはかつてアステカの守護神として、軍の神ウィツィロポチトリと雨の神トラロックを祀る高さ45メートルの大神殿「テンプロ・マヨール」がそびえ立っていたそうです!

②メトロポリタン大聖堂

メキシコシティのソカロ広場(中央広場)の北側にあるメトロポリタン大聖堂はメキシコ全てのカトリック教会を統括する総本山。メトロポリタン大聖堂がある場所には、アステカ王国の神話の最高神のひとつ、ケツァルコアトル(農耕、文化、知識の神)の神殿がありました。スペイン人は神殿を破壊し、メトロポリタン大聖堂はその石材を使い建設された。カトリックを速やかに根付かせるために、先住民の神々を祀っている神殿を破壊してカトリック教会を建設する手法が行われました。

③国立人類学博物館

世界でも有数の規模と内容の豊富さを誇る博物館。マヤ文明やアステカ王国の発掘品の他、メキシコ各地の歴史的な文化財が展示されている。中でも太陽の石「アステカ・カレンダー」はアステカ人の神秘的な宇宙観を表現しており人気です!

まとめ

以上、メキシコシティのあまり知られていない歴史をご紹介しました!メキシコシティを訪れる際には、ただ「綺麗!」、「すごい!」と感動するだけではなく、歴史や背景を理解した上で観光してみてください!きっと様々な角度から現代に残る歴史に触れることができますよ!

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