高度経済成長期の葛藤を乗り越え、製造業の世界へ
-ご出身は福島でいらっしゃるんですよね。
僕はオイルショックと同時に、福島県の工場経営をする家に生まれました。高度成長が停まった直後の世の中です。その頃の社会問題といえば、水俣病とか、イタイイタイ病などの「公害」です。さらに「エコロジー」や「ジブリ」がブームの社会で生きてきて、家が工場経営をしていることに負い目を感じることがありました。自分自身も、大量生産・消費の物質主義社会に対して問題意識を持つようになっていました。
ですが数年後、大学で機械工学を学ぶために上京したとき、ある葛藤が生まれた。東京のような都会の社会で生きていくと、市場とか産業の必要性を実感するようになりますよね。簡単に言うと地球環境のことと、経済の必要性や合理性、どちらを重視するべきか、板挟みになってしまいました。
大学卒業後すぐは、好きなことを仕事にしたいと思ってカメラマンになりました。でも自分の撮りたいものばかり撮れるわけではない現実を知り、結局、次の仕事では実家の営む工場に帰ってきたんです。
-かつては負い目を感じていた製造業に戻ったんですね。
なんだかんだ、人と共同で物を作ったりなにかしたりするのが好きで、向いているんです。学生時代のジレンマも、今は自分の会社で起きる問題こそが、自分が今やるべき範囲のことだ、と考えるようになって、折り合いがつくようになりました。
僕一人じゃ社会全部を変えられないし、どうしたらいいかもわからないけど、経営者として従業員の幸せを考えることならできます。
-笠原さんが経営されているKBフォームでは、何を作っているんでしょうか?
発泡スチロールと、それを作る機械などを作っています。製造業は正直今下火で、失敗が許されず、不良品も出せず、薄利多売の商売ですが、自分の作っているものにはこだわりと誇りを持っていますよ。特に、発泡スチロールを作る機械については他のどこもやっていないので「この領域ならKBに聞けば安心だ」と思ってもらえて仕事がきます。自負と責任を持ちながらやってきました。
ポジティブでラテン気質なメキシコ人たちを「信頼する」ということ
-メキシコへは、どういうきっかけでいかれたんですか。
選んで来たわけではないですが、ご縁がありました。KBフォームはメキシコのティファナに27年目の工場を持っていて、2005〜2010年の5年間、生産を司る工場長として駐在しました。
来てわかったのですが、メキシコは自分に向いてます。けっこうな心配性なので細かいことが気になるし、ネガティブになりやすい。だからメキシコ人と一緒にいると、こんなにポジティブでいいんだ、自己肯定していいんだ、いい加減でもいいんだ!と救われます。
もちろん約束にルーズな人も多いので、メキシコ人最高!とばかりは言えませんが、日本人にない楽観性で、仕事に良い影響をもたらすことはよくありますね。
-経営者として、メキシコ人と付き合うときに気をつけていることはありますか。
小さい企業だからできることですが、それぞれの従業員を見るようにしています。メキシコ人は怠惰、というステレオタイプで語るのは楽ですが、個別の人間としてコミュニケーションをとり、信頼するか決めます。
昔、機械の金型のミスがあった時、担当のメキシコ人技術者が「自分の責任なので、徹夜して直します。」と言ったことがありました。メキシコ人にも信じられる人がいる、とわかって嬉しかった。
あと彼らは他の人の前で誰かを叱ったり、否定したり、けなしたりするのは嫌がります。要は感情の波が激しい典型的な「ラテン気質」で、Buena onda(調子いい)だとものすごい力を発揮します。なので相手の気分をうまく乗せるように気をつけています。
このやり方は組織が大きくなるほど難しいですが、「この経営者は日本人だけど、ちゃんと自分のことをわかってくれているな」と思ってもらえれば、彼らのモチベーションは上がり、プライドを持って仕事をするようになるんです。日本人は現場主義の人が多いので、その辺はうまくやれるんではないでしょうか。
反対にメキシコ人の管理者は、自分の手を汚したら負けだと思っている人が多くて、押し付けるようなやり方をする人もいる。でも僕は現場で一緒に汗をかいて仕事したいから、自分が実務に携わるようにして、そういう空気を作りたいんだよ、とこっそりアピールしています。
-背中で語る!みたいな感じですか。
そんなにこれ見よがしにではないですが…例えば小さいことだと、食堂のごはんのクオリティーをあげよう!と言ってみたり、トイレを自分で掃除してみたり。「おいしい」とか「きれいなトイレ」って、嫌な人はだれもいませんからね。まずいからなんとかしろ、と命令するよりポジティブで、ずっと効果的ですよ。