「自分に素直に生きること」~メキシコでの挑戦~

「メキシコで色んな人に出会い、日本にいたままでは持ち得なかった考え方や生き方を教わったことが、この7年間の1番の財産だと思います。」-本文抜粋 そう語る吉岡さんのメキシコでの記憶、現在に迫りました。

〜メキシコへの語学留学を経て就職へ〜

留学先候補にはまずスペインを考えました。しかし当時は1ユーロ160円程。どうせ留学するならしっかり勉強できる方がいいと思い、スペインに行く予算でその倍以上滞在できる中米の中から一度訪れたことのあるメキシコを選びました。

2008年の4月にメキシコに渡ると、5ヶ月後の9月にリーマンショックが起きました。当時は語学学校に通う学生だったので、実感はありませんでしたが、1年を予定していた留学を終えたらどうするか、少しずつ将来を考えなければなりませんでした。最終的には、リーマンショックの影響が大きく残る2009年にしっかりとしたキャリアのない自分が日本に戻ったところで転職は難しいだろうと考え、メキシコでの就職を決意します。現地で働いてビジネスレベルまで自分のスペイン語を向上させてから日本へ帰国しようと思ったのです。

留学をスタートさせた2008年当時、メキシコシティの語学学校の授業料は1ヶ月約400ドル、住まいは最初はゲストハウスに滞在していましたが、後に学校から紹介された家賃約300ドルのホームステイ先へ移ります。

ですので、学費と家賃で月700ドルほど、食費や交際費を入れても1000ドル以下で生活できていました。

語学学校に通っていた間は、メキシコ国内やペルーを旅行し、自由でのんびりとした生活を楽しみました。

そして10ヶ月後、学生生活はあっという間に終わり、いよいよ就職先を探し始めます。が、当時の日本人(現地採用)の雇用状況は今のように売り手市場ではなく、待遇や勤務地が希望と合わずなかなか仕事が決まりませんでした。ですがそんな中、衛生陶器メーカーのメキシコ法人に通訳として採用されます。メーカー志望だった私は住み慣れたメキシコシティから北部モンテレイへ引越し、新生活をスタートさせました。

通訳の仕事は語学学校を出ただけの私にとっては大きな挑戦で、予想はしていましたが最初の3ヶ月は本当に大変でした。ですが、現場にどんどん出て工程や専門用語を覚えると、少しずつローカルスタッフとのコミュニケーションもスムーズになり、その場でありがとうと言ってもらえる通訳の仕事を楽しめるようになってきました。

会議の通訳にも入るようになり、仕事にも慣れた1年後、通訳以外の仕事もそろそろしてみたいと思うようになりました。というのも、スペイン語を使いながら他の職種を経験しなければ、ただスペイン語を話せるだけの人になってしまい、本帰国後の転職に困ると以前から考えていたのです。

そして勤めていた会社に通訳以外の業務について確認してみるのですが、残念ながら空いているポジションはなく、結果転職することにしました。

メキシコでの就職や転職は、求職者がメキシコの日本商工会議所に履歴書を送り、企業から声がかかるのを待つというのが一般的ですが、メキシコでの生活が長くなってくると知り合いから直接声がかかるようにもなってきます。

私も友人を介して、日系の保険会社で日本人を募集していることを聞き、2度程面接をし、営業職として採用されました。

業界も職種も初めてで不安もありましたが、現地採用の日本人スタッフは皆未経験から始めているから大丈夫と聞き、やってみようと決めました。

主な仕事は日系企業の法人営業で、企業の保険担当者へ商品の説明や提案をしたり、保険更新の手続きをしたりします。はじめは保険の仕組みや専門用語を覚えるのに苦労しましたが、徐々にお客様との接点も増え、スペイン語での商談や打ち合わせにも慣れてきました。

私はメキシコシティとモンテレイを担当しており、深耕営業がメインで既存取引先とのやりとりが多かったです。相手は日本人の場合もあればメキシコ人の場合もあります。通訳ではなく営業としてメキシコ人と仕事をしてみるとそれまでとは違った苦労がたくさんありました。今思えば、時間の感覚、人との距離感、優先順位、何から何まで日本人と違うのだから当たり前です。そんな環境の中、周りに助けられながら3年半仕事を続けられたのは私にとって本当に良い経験でしたし、大きな自信につながりました。

そして2015年、会社を辞めて本帰国します。日本での就職を考えると35歳までの方が転職活動がしやすいと聞いていましたし、通訳以外の職種で3年以上働く、メキシコ国内外思う存分旅行する、という目標は全てやりきったと思えたからです。

帰国後は1ヶ月ほどのんびりと過ごしてから転職活動を始めました。書類選考がなかなか通らず焦りましたが、3ヶ月程経った頃スペイン語を活かせる求人を見つけ、応募。無事内定に至りました。メーカーの海外事業部で、中南米にも深く関わっていける仕事です。業務では使い慣れたスペイン語だけではなく英語を使うシーンも多いので、これからはすっかり忘れてしまった英語をもう一度勉強していこうと思っています。

〜今思うメキシコの魅力〜

明るくて、欲に素直で、瞬間瞬間を楽しみながら生きているメキシコ人。そんな性格を良いなと思うことも嫌だなと思うこともありましたが、結局はその国民性が国全体の雰囲気を明るくし、日本とは違ったエネルギーや自由さを生み出しているようにも感じていました。だからか、メキシコでは日本にいた時に気にしていた小さなことに拘らなくなり、人の目を気にし過ぎず自由に、精神的にすっきりと楽な状態でいられました。

これはメキシコから日本に戻って改めて気付いた魅力の1つです。

また、自然が豊かで見所がたくさんあるというところも大きな魅力です。メキシコに住んだ7年間で色々なところへ旅行へ行きましたが、まだまだ行ってみたいところが残っています。人気のカンクン以外にもオススメしたい場所はいくつもあり、例えば私が気に入って1年に2回も行ったのがエンセナーダです。アメリカとの国境の町ティファナから車で2〜3時間の港町で、メキシコワインの産地としても有名です。魚介類とワインが楽しめる美食の町です。

労働環境については、少なくとも私が働いてきた会社ではダラダラと残業したり、何時間も会議をしたりすることはありませんでした。また、有給を取りやすく、皆がプライベートの時間をしっかりと確保するという雰囲気なので、日本にいる頃と随分働き方が変わりました。仕事とそれ以外の時間のバランスが健全で、自由な時間を充分に持つことができます。

〜メキシコで印象に残っていること、苦労したこと〜

働き始めて驚いたのは、メキシコではお給料を月2回(会社によっては毎週)受け取るということです。計画的なお金の使い方ができないからなのかもしれませんが、今を楽しむために浪費してしまうメキシコ人と将来を案じて貯金に励む日本人の差を見た気がしました。

もう1つは、メキシコシティの語学学校に通っていた2008年頃、停電や断水がしょっちゅう起きていたことです。ここ数年は以前ほどではないですが、電気も水道もガスも、いつでも使えて当たり前ではなく、ない時には自分でなんとかしなければなりませんでした。それ以外にも、メキシコで生活していると想像を超えるトラブルが次々に起きて、おかげで何に対しても臨機応変に動く力が自然につきました。

〜メキシコを一言で言うと〜

混沌。色んなものがごちゃ混ぜで、良くも悪くも勝手で、自由で、その中で楽しんだもの勝ちな国という印象です。

そんなメキシコにいる日本人は皆さん本当に個性的で、楽しい時間を共有しながらたくさん刺激をもらいました。メキシコで色んな人に出会い、日本にいたままでは持ち得なかった考え方や生き方を教わったことが、この7年間の1番の財産だと思います。

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