こんにちは!グアナファトでamiga運営部、Risakoです♪
渡墨して2カ月が経ちますが、こちらでの生活で、メキシコ人の方たちは日本人に友好的だという印象を受けます。見ず知らずの方に、「日本人!写真撮って!」なんて言われたりもします。なぜ、そんなに日本人に親しみを持ってくれているのでしょう?それは、今までの日本とメキシコの国交が関係しています。このサイトをご覧の皆さんにとっても、日墨間の友好関係は気になることの一つであると思います。では、日墨が外交関係を持つようになった経緯や歴史、現在の二国間の友好関係を見ていきましょう!
日墨交流の始まりは、なんと400年前
正式な外交が樹立されたのは130年前ですが、実は交流の始まりは400年前にまで遡ります。それは1609年、スペイン領フィリピン臨時総督とその一行が、当時スペイン領だったメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)へ船で向かう途中、嵐に襲われ千葉県御宿沖に漂流したことがきっかけでした。難波した彼らを御宿の漁師たちが救出・解放し、その後、臨時総督は駿府にいた徳川家康とも会見したのです。その四年後の1613年、伊達政宗の家臣、支倉常長が直接通商を目的にヌエバ・エスパーニャに派遣されました。しかしその後、日本は鎖国の時代に入り、一度メキシコとの国交は途絶えてしまいました。
詳しくはこちらの記事へ開国後、念願の平等条約締結
皆さんも日本史や世界史の授業で習った通り、日本は開国後アメリカと修好通商条約を、イギリスやヨーロッパの列強と通商条約を結びました。しかし、これらの条約は日本にとって不利なものばかりでした。そこで、日本が悲願していた平等条約の実現のきっかけとなったのが、1874年のメキシコ金星観測団の来日でした。観測団の団長はその時の日本の待遇に感激し、本国への報告書にて、日本と通商関係を結ぶことを強く勧めました。そして1888年、日本にとってアジア以外の国との初めての平等条約となる、日墨修好通商航海条約が締結されました。これが、日本とメキシコの正式な外交の始まりとなりました。そしてその9年後にはメキシコ・チアパス州に35人の日本人が入植しました。これは、現在日系人の多いブラジルやペルーよりも早い植民団の派遣となりました。そのため、メキシコにおいて日本人の存在は古くからなじみがあったのです。
長い外交の歴史を経た、現在の友好関係
近年でいうと、2005年には自由貿易協定が二国間で締結されたことにより、多くの日系自動車部品メーカーが工場を続々と設置しました。それ以降も日系企業のメキシコへの進出は急増し、2008年に366社だったメキシコ国内の日系企業数は、2017年には1182社にまで増加しました。一昨年6月からはアエロ・メヒコが成田からメキシコシティへの直行便を就航し、メキシコへの往来はより身近なものになっています。そして日本の阪神淡路大震災や、2017年のメキシコ地震の際には、互いに救援物資や義援金を送り合うなど、二か国間には深い絆が存在します。外交面では、安倍総理大臣とメキシコのペニャ・ニエト大統領は互いにファーストネームで呼び合う仲です。400年の歴史を経て、日墨の外交関係は今後もさらなる深化を続けていきます。