【インタビュー】30年をメキシコで生きた日本の料理人

現在はメキシコシティで鮮魚店 肴家(日本食スーパーMikasa内)、らーめん家(デル ヴァジェ地区)、佳み家(日墨会館内)を経営されている川端さん。 日本で様々な料理を学んだ後、メキシコの老舗日本食レストラン「サントリー」に赴任。 メキシコの魅力に駆られ、サントリー退職後もなおメキシコで料理人としてご活躍されております。 川端さんから、海外で料理人を志す方々へのメッセージも頂戴致しました。

30代にしてサントリーの料理長に抜擢

 メキシコでの任期を延長し、サントリーのメキシコ支店で働きだして4年が経った頃、私はサントリーの料理長に昇進しました。通常であれば40歳を過ぎた方々が歴任してきた料理長というポジションに抜擢頂いたたため、重くプレッシャーを抱えての就任となりました。

料理長に成った当時は、親方、友達に相談する際に国際電話を多用していたため、一ヶ月に10万円ほど国際電話代に費やしていました。自分が料理長になった途端に、店の経営状況が落ち込むようなことは絶対にしたくなかったんです。食材の調達も思うようにいかず、この頃が体力的にも精神的にも一番大変でしたね。

合計3年ほどサントリーで料理長を務めた後、サントリーの日々は楽しかったのですが多忙を極めたため、ゆっくりと休養したいと思ってメキシコで暫くゴルフ三昧の日々を送っていました。その後、知り合いの飲食店で料理人として料理を振舞いながら店舗のコスト管理のシステム化等を行った後、メキシコシティにある日本食スーパーマーケットの老舗であるMikasaの土屋会長に、「ウチで魚屋をやらないか」とお誘い頂き、魚屋を始めることとなりました。

人との繋がりのお陰で日本でもメキシコでも、職を転々として来れたので、国内外問わず、人の繋がりは本当に大切だと身にしみて感じています。

海外に興味がある日本の料理人の方々へのメッセージ

 料理人がメキシコに来るメリットとしては、しっかりと料理の基礎がある方である、ということを前提に言えば、誰にも干渉されずに自分の味を出せるだと思います。

事実、日本ではレストランや料理人が所属する組合が何百とあり、それぞれの組合に流派が存在します。大原則として流派ごとにある料理の基本は崩せないし、料理の世界では上下関係が非常に厳しいため、いつまでたっても自分の味を出せないということは料理人の世界では実際にあります。

ただし、私は日本にいる日本人の料理人の方々には、料理の基礎を学ぶのであれば、日本には沢山の美味しい店があるので、日本でしっかりと修行することをお勧め致します。メキシコで、海外で将来自分の店を持ちたいと夢見る若者には、日本でしっかりと料理人としての基礎を築いてから海外に渡ることが夢を叶える近道となると思います。早く自分の店を拵えたいから海外に来る、というチャレンジ精神は否定しませんが、私から伝えたいのは、料理の基礎をしっかりと築くことの重要さです。

料理人として、行き詰まったときに自分を助けてくれるのは自身の技術や経験です。江戸時代に発行された料理に関する書物を読んでみると、日本料理のベースは400年前から変わっていないことが分かります。日本にいる熟練の師匠たちの下で働くことは勿論、本やネットを通して知識を蓄え、料理の名前を覚え、プロが何十年と働いて得た知恵を吸収し続けることが料理人として早く成長する術でしょう。

昔の料理人というのは、どんぶり勘定でどうにかなっていたんです。ただし、今の「出来る」料理人というのは、料理の味が旨いのは勿論、コスト計算が出来て、レシピの作成も正確に出来る人を言います。オールマイティに仕事が出来る料理人こそが海外で通用する料理人だと私は思っています。

「日本ではこうなのに」は通用しない

 メキシコで生活する上で大切なことは、ここは日本ではない、ということを念頭に置くことだと考えています。

メキシコは自由な国です。日本よりストレスを感じるシーンが少ないと思います。ただし、自由には常に責任が生じます。日々生活していると危険を感じることがあまりないように思えますが、危険な目に遭うことを避けるために、自分が海外にいるという自覚を持って生活することを心がける必要があると真摯に思っています。

また、「日本はこうなんだから、メキシコでもこうあるべきだ」という常識は通用しません。

其々の国には日本とは異なる常識があり、国民性があります。早く異国に溶け込むために最も大切なのは、その国にいる人達をリスペクトして、仲良くなることが一番です。メキシコ人だから、といって距離を置かずに

、接していく。勿論、メキシコ人と付き合う、仕事をすることで嫌な経験をすることが、もしかするとあるかもしれませんが、それは対日本人だとしても起こりうることだと思っています。誰もかもを信頼することは避け、猜疑心を持ちながら人間関係を構築することも、ここメキシコでは必要なことかもしれません。

メキシコ人というのは、私たちが思っている以上に外国人である日本人をよく見ています。この日本人にはどれだけ技量があって、リスペクトできる人間なのかを注意深く観察しています。こいつは駄目だ、と思われてしまうと馬鹿にされることもありますが、この人は尊敬するに値すると判断してくれれば、敬意を持って接してくれるようになります。

また、メキシコに住む日系人の方々と友人になることも非常に大切です。半世紀以上メキシコに住まれている日系人の方々は沢山いて、話を伺うと大変興味深く、自身がメキシコで生活していく上で参考となる情報や知見を沢山教えてくれるでしょう。

将来は割烹料理屋をメキシコで

 現在は日墨会館の敷地内にある日本食レストラン”肴屋”で働く傍ら、2週間に1度、バヒオ地区(イラプアト、シラオ、レオン等)に日本の食材をメキシコシティから配達しています。バヒオ地区では日系企業の進出に伴いバヒオに住む日本人の数は急増していますが、日本の食材が中々手に入らない状況にあるからです。

正直、バヒオ地区への配達は儲かる仕事ではないのですが(笑)、配達先の各地で有難いことに私を迎え入れてくださる方々と食事をする機会があり、新しい仕事の依頼を受けることもあって、バヒオ地区への配達は私の少ない楽しみの一つとなっています。

心の中では、メキシコで割烹料理の店を開いてみたいと思っています。割烹料理の割烹とは、料理人の技術的なことを言うんです。その道の職人が腕をふるって旬の食材を集め、調理の技術、包丁捌きも含め、お客様に美味しく食べていただく料理です。

割烹料理屋をやりたいという夢は、これからも人生を過ごしていくであろうメキシコで、いつか必ず実現したいと思っています。

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