経歴
イラン人の両親の元に生まれた岐阜男児。高校卒業まで地元岐阜県で過ごし、その後大学進学とともに北海道へ。大学では化学を専攻し、3年生を終えた後にメキシコへ渡航。現在はメキシコの日系ベンチャー企業の企画・営業部でインターン生として活躍中。
「周りとの違い」を意識する一方で培われた海外志向
幼少期の僕は、引っ込み思案な子供だったと思います。外見のせいでどうしても周りから浮いてしまうので、日本の「同調文化」に解け込むために出来るだけ目立たないことを意識して生活していました。それでも、どうしても目立ってしまうので「周りから自身がどう思われているのか」をいつも気にしていました。その理由から、友人やクラスメイトと打ち解けきれなかったので小学生の当時はひたすらテレビっ子でしたね。ペルシャ語*のお笑いは英語のアメリカンジョークにニュアンスが近いという理由から、アメリカのディズニーチャンネルや洋画ばかりを見ていました。
*イランの公用語=ペルシャ語
また両親が教育熱心であったので、5歳からネイティブの教師による英会話レッスンを受けていました。近所のお兄ちゃんであるカナダ出身のスティーブから英語を学んでいましたね。幼い頃から英語に触れ合ってきたことで慣れ親しんでいましたが、最後まで英語を語学として好きにはなれませんでした。英語の音ばかりだけが先行してインプットされ、いざ書こうとすると綴りも難しかったので知識として身にならなかったんです。嫌々ながら受けていた週に1回の英語のレッスンは、授業後にゲームをすることを楽しみに継続していました。
中学校へ入学する直前で「英語」に対しての考え方が大きく変化しました。中学生になるまでは「音」でしか認識出来ていなかった英語が、両親に買って貰った1冊の文法書のお陰で、英語の構造を一気に理解することが出来たんです。これをきっかけに、中学校へ入学する時点で既に中学3年生で学習する範囲の文法は理解できていて、英語のテストは毎回ほぼ満点でした。当時の英語を担当していた先生が褒めて下さったお陰もあり、その時から英語を学ぶことが楽しかったんです。
大学入学後は周りに留学生が多いこともあって、生の英語に触れる機会が増えました。その頃から外国語で会話することの面白さを覚えていきましたね。外国語に対する学習意欲が向上していた時期に、第二外国語としてスペイン語を履修したんです。サッカー強豪国のスペインに当時関心があったという理由からスペイン語を選択していましたが、当時はまさか自分がメキシコに来て生活の中で役に立つとは全く想像していませんでした。
研究職では食ってはいけない。「海賊と呼ばれた男」を読んで人生の目標が決まる
大学3年次に入り「このまま研究を続けて将来食べていけるのか」と漠然とした不安を覚え始めました。そんな中、たまたま訪れた企業説明会で「商社」の存在を知り、関心を持ち始めたんです。研究室に閉じこもり、自身の研究ばかりに勤しんでいた当時の私にとって、ビジネスの世界はとてもきらきらして見えたんです。
これらの影響を受けて「研究者としての道を歩むか」「就職するか」、真剣に考え始めました。
商社という仕事に興味を持ち始めたもう一つの理由は 百田尚樹の著書『海賊と呼ばれた男』を読んだことがきっかけです。戦後、何もないところから石油事業に挑んだ主人公の姿が当時のイランの情勢を彷彿させ、胸を打たれました。この本をきっかけに、「イラン人としての自分を押し殺すのでなく、イラン人というバックグラウンドを活かして、イランと日本の双方の為になる仕事がしたい」という気持ちを抱くようになりましたね。
その後、大きな人生の目標を実現させる為の計画を立て始めました。将来的にイランを拠点として働くために、学生時代に「海外で働くこと」を事前に経験し、勉強したいと感じるようになりました。また第二外国語でスペイン語を学んでいたことに加え、イランと同様に新興国でありながら経済市場モデルも近いメキシコで、インターンをしたいと考えはじめました。その後、メキシコでインターンをできる企業を探しました。最終的には自身が将来イランで取り組んでみたい輸出などの国際関係の仕事も担っているEncounter Japanでのインターンを希望したんです。