【メキシコで活躍する日本人インタビュー】異彩を放つ経歴。コンサルタント伊東秀治

大学を卒業後、7年半の中南米生活。その後の日本やベトナムでの仕事を経て、改めて戻ってきたここメキシコ。  世界16か国28拠点で事業を展開するコンサルティング会社、フェアコンサルティングのメキシコ・オフィスでご活躍される伊東秀治さんに今回は取材させて頂きました。中南米歴13年の異色の経歴を持つ伊東さんに、メキシコに辿りついた背景と現在のお仕事についてお聞きしました!

外務省務めからコンサルタントまで 型破りな経歴に着目

今回は海外事業展開支援サービスを強みに日本国外にも多くのオフィスを持つ、フェアコンサルティングのレオンオフィス(メキシコ)で働く伊東秀治さんにインタビューをさせて頂きました。現在はコンサルタントとして活躍される伊東さんですが、過去にはメキシコの大学院に在籍したり、在コロンビア日本大使館で外務省専門調査員を務めたりと、異彩を放つご経歴の持ち主。

 今回はそんな伊東さんの壮大なライフストーリーをお届け致します。

ラテンアメリカ政治の勉学に励んだ20代

【amiga】

 本日は宜しく御願い致します。

 伊東さんは、ラテンアメリカの滞在歴がとても長いとお伺いしました。

【伊東さん】

 初めてのラテンアメリカでの生活は大学卒業して半年後でした。アルバイトで稼いだお金を携えて、中米グアテマラに渡航し、そこで半年間スペイン語の語学学校に通いました。その後、メキシコに移動して、メキシコ・シティのメキシコ国立自治大学(UNAM)の付属語学学校CEPE(Centro de Enseñanza Para Extranjeros )でスペイン語の勉強を続けました。この学校のテキストのレベルが非常に高かった記憶があります。考古学や文化人類学などの多数の専門用語がちりばめられたテキストで、当時は「こんな専門用語はいつ使うんだろう」と思いながら勉強していました。

 その後、メキシコ政治の授業を大学でしばらく聴講しようと考えていたところ、知人の日本人に薦められUNAM大学院の入学試験を受験しました。

【amiga】

 知人の勧めでメキシコの大学院に進学されることを決断されたのですね。

 UNAMの大学院では何を学ぼうとされたのですか。

【伊東さん】

 ラテンアメリカ政治社会です。政治社会学部ラテンアメリカ研究科志望でしたので、入試の出題範囲はラテンアメリカの民主主義、人権問題、軍政、新自由主義(ネオリベラリズム)などについて小論文を書くというものでした。受験当日までどのようなテーマが出題されても、ある程度小論文を書けるようにスペイン語の専門用語などを覚えて挑みました。結果、無事合格することができました。そこからは、大学院の日々の講義に追われる日々が始まりました。

【amiga】

 メキシコの大学院の生活はハードだったのでしょうか。

【伊東さん】

 想像以上にきつかったです。メキシコの大学院の特徴は「入学は簡単、卒業は困難」というものです。まず、日々の講義に出席して単位を取る必要があるわけですが、毎回大量の宿題が課されます。具体的には、指定された一定量の書物を読んで、小論文を次回の講義に提出したり、講義に「参加」できるよう次回のテーマの予習のため夜中の2時、3時まで資料を読み込んだりしました。講義への出席が「参加」ではなく、講義中の議論でどれだけ発言するかが「参加」の指標でした。

日本の大学院と大きく異なる点は、修士論文や博士論文の提出期限が定められていないことです。そのため、一旦書いた論文を何度も推敲してしまうため、論文完成まで多くの時間がかかってしまいます。一旦論文を教授陣に提出すると、論文審査委員の教授陣から膨大な量の質問が書面で返ってきます。その質問に対して一つ一つ回答すると、再質問書が飛んできます。最終的に私が修士号を取得できた時には、修士課程入学後6年の月日が経過していました。非常に時間が掛かったように思われますが、修士及び博士過程合計で13人いた同期の院生の中で、私の論文の完成は13人中2番目でした。大学院入学後10年経過しても、論文を完成させない院生が沢山いる状況でした。

武力紛争への関心からコロンビアへ

【amiga】

 大学院の後は何をされていたのでしょうか。

【伊東さん】

 メキシコで一緒に学んでいた先輩からの勧めもあって、大学院在学中に、日本外務省の専門調査員の試験を受けることにしました。ラテンアメリカの中でも武力紛争が継続している国の社会に関心がありました。当時、グアテマラなどの中米紛争は終結しかけていたものの、メキシコ、ペルー、コロンビアに活発な武装ゲリラ組織が存在していました。メキシコは住んでいたので、専門調査員としての赴任地はペルーかコロンビアを希望していました。各国の日本大使館や総領事館の専門調査員のポストは、概して2年か3年に一度しか空席が出ません。運よくコロンビアの専門調査員のポストが公募されたので受験して合格しました。1998年5月の辞令発令後、コロンビアの日本大使館政務班に勤務することになりました。

 

【amiga】

 圧巻の行動力!

 コロンビアでは専門調査員として具体的にどんな仕事をされていたのでしょうか。

【伊東さん】

 端的に申し上げれば、政務担当としての主な業務はコロンビアの政治及び治安に関する情報収集です。毎日、現地の日刊紙と政治週刊誌に目を通して、必要な情報を霞が関の本省に報告していました。新聞情報だけでは不足していたり、信ぴょう性が欠けていたりする場合もあるので、関係者に頻繁にインタビューを行いました。政府関係者、国会議員、学者、ジャーナリスト、軍や警察の諜報関係者、他国外交官などにアポを取り、活字にならない情報、特に左翼ゲリラ組織の動向や政府とゲリラの和平交渉の進捗などの情報を取りにいきました。また、核軍縮の国連決議等の日本の立場や政策をコロンビア政府に説明したり、大学で学生に日本の外交政策を講演したりすることもありました。更に「コロンビア武力紛争の周辺国への影響」というテーマで、ベネズエラ、パナマ、アルゼンチン、エクアドルといった周辺国に出張して、調査することもありました。

 他方、コロンビアで日本人の誘拐事件が起きたときは、早期解放のためのサポートもしました。当時コロンビアは、今より治安が悪く誘拐は日常茶飯事でした。年間3,500名以上が誘拐されており、私の任期中3年間で邦人の誘拐事件は4件発生しました。

【amiga】

 コロンビアで3年過ごした後はどうされたのですか?

【伊東さん】

 任期終了後、日本に帰国しました。2年間勉強をして公認会計士の資格を取得し、2004年に、有限責任あずさ監査法人に就職しました。

【amiga】

 外務省勤務から公認会計士とは壮大なキャリアチェンジですね。

 あずさ監査法人ではどんなお仕事を担当されていたのですか?

【伊東さん】

 会計監査とコンサルティングの仕事をしていました。はじめは企業の財務諸表の会計監査業務に従事しました。監査対象会社の業種は、自動車製造業から宿泊業・小売業・債権回収業など多種多様で、外資系企業もありました。会計監査の仕事は、監査対象会社を訪問して資料を見ることが多いため、出張も多く日本国内の様々な街を訪問しました。

 ただ、間違いの少ない財務諸表を作成できる企業からすると、会計監査は日常の経理業務の妨げになる、うざったい存在だと思います。そのため、監査対象企業から感謝されない仕事、と自分で感じていました。そのような背景があり、会計監査部門からコンサルティング部門に異動をしました。

 コンサルティング部門の仕事は、企業がM&Aを行うときの財務デューデリジェンスの実施や、多くの有利子負債を抱える企業の事業再生業務、不正財務調査などでした。監査部門よりコンサルティング部門の方が、クライアントから感謝される機会が格段と増えました。

【amiga】

 なぜ今の会社に転職したのでしょうか。

【伊東さん】

 もう一度海外で働きたいと思ったためです。あずさ監査法人から海外赴任するのは監査部門の方が多く、コンサルティング部門所属の私の海外赴任は難しいと考えました。そのため、海外勤務可能な会社で働いたいと考え、今のフェアコンサルティングに転職しました。

ベトナムからもう一度メキシコへ~海外で働く流儀~

【amiga】

 フェアコンサルティングの海外拠点、ベトナムのホーチミンにアサインされた伊東さんですが、そこではどんな業務を担当されていたのですか?

【伊東さん】

 主に以下3つの業務を中心に行っていました。

 ①お客様の会社の会計記帳(記帳代行)

 ②お客様の会社の税務申告

 ③ベトナム進出を希望される方の会社設立

 

 日常業務は、日系企業の月次財務諸表(貸借対照表や損益計算書など)を企業に代わって作成することです。従業員や出向者の給与計算、税務申告も行いました。新規駐在員の労働ビザの取得もサポートしました。日系企業の進出が盛んなため頻繁に企業進出の相談を受け、実際日本資本のベトナム企業を数多く設立しました。

【amiga】

 その後、ベトナムでの任期を終えてメキシコに転勤になったそうですが、

 今の業務において、伊東さんがやりがいを感じる瞬間はどんなときですか?

【伊東さん】

 一般的な答になってしまいますが、お客様に感謝されるときです。

 例えば、お客様の財務資料を分析する財務調査で、お客様が気づいていない問題点を発見し改善提案をしたり、お客様がお困りになっている問題点について解決策を提示したりする時です。

 製品の原価割れが発生していながらそれに気づかず、製造、販売を続けている事案を発見することもあります。意外かもしれませんが、自社製品の製造原価を把握していない会社は少なくありません。というのも、原価計算というのは精緻にやろうとすれば非常に複雑になります。例えば、複数の製品を製造する工場があるとします。その工場の建物の賃借料や水道光熱費、製造機械の減価償却費、人件費などの費用を、それぞれの製造時間や作業工程が異なる製品に振り分けないと、それぞれの製品の適切な原価は算定できません。費用や製品の種類が多ければ多いほど、費用を各製品に振り分ける計算は複雑になります。お手上げ状態になっている会社もあります。適切な原価を求めた後、複数ある製品のうち、どの製品を販売すれば最も利益が最大化できるかを提案するとお客様から喜んで頂けます。

【amiga】

 最後に、今後メキシコで働きたいと考えている方やメキシコに転勤される方に向けて、メッセージを頂けますでしょうか。

【伊東さん】

 日本人とメキシコ人では文化が全く異なります。言語、習慣、宗教、食べ物、考え方、仕事の仕方、時間概念など。そのため、一緒に働けば、必ず衝突が起こります。メキシコ人と働くことは「必ず文化的衝突が起こる」と考えてください。そして文化的衝突が起きた時、発生原因を追及して、2回目の衝突が発生しないようにしてください。言うは易く行うは難し、ですが、、、。

 よくある文化的衝突はメキシコ人と日本人の時間感覚の相違に起因するものです。この相違をどのように克服するか、人それぞれ方法は違うでしょう。解は一つではありません。ご自分に合った解を見つけてください。

 文化的衝突を低減させる一つの方策は、相手の文化を知る、理解することだと思います。日本人とメキシコ人では文化や習慣が異なることを前提に、メキシコ文化を是非理解するようにしてください。

 メキシコの文化は多様です。今も、独自の言語を話す多くの先住民が暮らしており、私が訪れた山間の集落ではスペイン語を理解しない多くの先住民に出会いました。世界文化遺産も数多く点在しており、メキシコ料理は和食に先んじて世界無形遺産に登録されています。アステカやマヤといった古代文明の遺跡も数多くあります。そんな多彩で魅力的な文化に出会えるのがメキシコです。こちらに来られましたら、是非、奥深いメキシコ文化を堪能して、生活を楽しんで下さい。

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