【有給】アメリカの帰国子女が中南米でインターン!?

アメリカ合衆国の最大都市の一つシカゴで6年間の中学・高校生活を終えて、東京都内の外国語大学で大学生として勉強に勤しみながら、いわゆる「普通の大学生活」を送っていた島村莉於さん。そんな彼女が自分の強い意志で日本を飛び出し、地球の裏側のメキシコでインターンに挑む理由とは。彼女の稀有な半生と内に秘める熱い思いに迫りました!

経歴

小学校卒業までを千葉県柏市で過ごした後、父親の海外赴任をきっかけに渡米し、中高6年間をイリノイ州シカゴで過ごす。高校卒業と同時に帰国し、東京外国語大学 国際社会学部スペイン語学科に入学。文化人類学について学びながら4年次進学と同時にメキシコの日系ベンチャー企業でウェブマーケティングを専門にメディアサイト運営の責任者として活躍中。

大人しく自分を出せなかった幼少期 ~ 激動の中高生時代

小さかった頃の私を一言で表すと「デカい」です。これは身長の話ですよ。性格の方はというと、むしろ大きいなんてことは全然なくて、私一人だけが身長のせいで目立つのが嫌でした。だからなるべく自分の意見を表に出さないようにしていた、引っ込み思案な幼少期だったと記憶してます。

大人しかった私を見かねた母親が、もっと自己主張をできるように、活発になるようにと私を空手教室にいれたんですよね。ただ空手を練習しにいくというよりは稽古に休まずいくとお菓子が貰えたり、たまに鬼ごっこなどをして遊ぶ時間があったのでそれを楽しみに行っていました。

そして時間が経って小学校高学年になる頃には、空手のおかげかは分からないですが、自分の意見を積極的に言ったり、クラスの中でリーダー的な役回りを率先してやるようになっていました。

そんな私に人生1度目の転機が訪れたのは中学に入学する頃でした。メーカー勤めの父親のアメリカ駐在が決まり、父についていく形で私たち家族も日本を後にしました。

アメリカに行ってからの最初の数年間は非常に学校生活で苦労したのを覚えています。初級レベルの英語さえままならなかった為、コミュニケーションを現地の子たちと取るのがとても難しかったです。アメリカに渡る前はむしろ自分の意見を積極的に言っていく性格だったので、言いたくても何も言えないというのは当時の私にはとても辛かったですね。

そこで私なりに編み出した答えがノンバーバルのコミュニケーションでした。例えば笑顔を常に意識したり、身振り手振りで自分の感情を伝えるというのは当時培われたものです。また相手の思っていることが言葉からは理解できなかった分、今自分に対してこの人は何を思っているんだろうということもよく考えるようになりました。この2つは現在も無意識的に行っていることだと思います。

中学校を卒業後、高校に入学してからはある程度英語には慣れていたものの、毎日が目まぐるしく過ぎて行きました。大学進学のために良い成績を取らねばならず課外活動のバトミントンと勉強に精を出していました。その中で一番印象に残っているのが、バドミントンでダブルスを組んでいたペアの女の子との思い出です。彼女は課外活動のペア以上に親友と言える存在で、異国の地の生活であまり自分の感情を表に出すことがなかった私の心の内を、全部、何も言わずとも理解してくれていました。彼女のことは今でも大好きでよく連絡を取り合っています。

またもう一つ鮮明に覚えているのは、莫大な量のレポートやテストに日々追われ、人生で一生分の勉強を高校時代にしたということです。例えばエッセイの授業があったのですが、日本の受験で出題される「英作文」とは違って、20ページに及ぶ論文を全て英語で、しかもリソースをもとに論理的に書かなければならない、という課題が出たりしてました。今考えても無慈悲ですよね(笑)。

日本での大学生活の幕開け、そしてメキシコでのインターンを決意するまで

アメリカでの生活が7年目に差し掛かろうとしていた頃、私は日本への帰国を決意します。日本が単純に恋しくなっていたのと、アメリカの勉強漬けな大学生活に耐えられるかどうか不安だったからです。

父の駐在が終わったことも相まって帰国した私は、当初私大への進学を希望していました。ですが当時通っていた予備校の憧れていたチューターの方が東京外国語大学に通っていたこと、オープンキャンパスに行って東京外国語大学の雰囲気に魅力を感じたことから、東京外国語大学が第一希望になり、その中でもスペイン語を学べる学科に行きたいと思うようになりました。スペイン語を選んだ理由はいくつかあるのですが、一番大きな理由はスペイン語話者の心の温かさでした。私はアメリカにいたときに旅行でドミニカ共和国やメキシコのカンクンに行ったことがあったのですが、そこで体験した現地人々の温かさや優しさからその地域が大好きになってしまったんです。

その後、晴れて志望校である東京外国語大学に入学でき、学びたかったスペイン語の勉強に精を出しながら部活やバイトをするという、ごく普通の大学生活を送っていたのですが、私の中で人生2度目の転機が訪れます。それがコロンビアへの短期留学です。私の大学は在学生の8割が卒業までに一度は留学をするというカルチャーがあり、私も1年生の春に1ヶ月コロンビアへ短期留学に行きました。そこで再び中南米特有の雰囲気に包まれ、「やっぱり私はこの人柄が好きなんだ」と再確認することが出来ました。惚れ込んでしまっていたんですね。

そのあと日本に一時帰国したのですが、皆が就職活動を始めていく中、私は自分が本当に何をやりたいのか分からなくなってしまったんです。それで最終的に選んだ道が自分の大好きな地、中南米での長期インターンでした。

メキシコでの長期インターンを通して経験した挫折

かねてからの中南米でインターンをしてみたいという願いが叶って、現在私はメキシコでEncounter Japanという日系の会社で働いてます。

主な私の仕事は弊社が運営するamiga (今あなたが読んでいるこのウェブサイトです) のサイト運営とウェブマーケティングです。

要約しますと「どうしたらより多くの人にリーチし、訪れてもらえるメディアになるか」をずっと考えています。amigaは役立つ情報記事と一緒に、企業の広告記事も掲載しているサイトです。なので広告を出して下さった企業がより大きな広告効果を得られるよう、Googleのアルゴリズムを研究し、ウェブプラットフォームとユーザーの双方に好かれるサイト改善と分析を行っています。

毎日が目まぐるしく過ぎて行きインターンを始めてから半年があっという間に経ってしまいましたが、特に覚えている挫折経験が二つあります。

インターンを始めた最初の頃の話なのですが、ウェブサイト運営において最も欠かせない数字の分析に、私は強い苦手意識があったんです。絶望的ですよね(笑)未経験ということも相まってGoogle Analytics(サイト分析ツール)を見ていても一つ一つのデータがただの数字の集まりにしか見えなかったです。

しかしある日上司の祐介さんとの1on1で「りおの仕事はただ記事を書くことでもデータを見ることでも無い。データから分析して改善していくことに意味があるんだよ」と言われハッとしました。 

【メキシコのベンチャー企業を牽引する若きエース生田祐介】
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紹介文: メキシコで活躍される日系企業経営者・社員の方々からスポーツ選手までインタビューし、お届け致します!

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