メキシコのベンチャー企業で飛躍を遂げる若き飲食店マネージャー 松田美里

幼少期から周りに頼られるリーダー気質だった松田さん。スペイン・バルセロナへの留学経験や旅行代理店での勤務を経てEncounter Japanへ入社し、メキシコへ渡航されました。日本食レストラン「GOEN」のマネージャーを務める傍ら、新店舗や新拠点の立ち上げにもチャレンジする松田さんの半生と今後の意気込みについてインタビューしました!

幼い頃から海外を夢見て。「文武両道」を意識した学生生活

私は埼玉県の加須市で生まれ育ちました。母親の友人が英会話教室を運営していて、幼い頃からその英会話教室に通っていたんです。この環境や習慣を通じて、幼少時から自然と海外で生活することに憧れを抱いていました。中学校ではバスケットボール部、高校ではオーケストラに所属していたのですが、どちらの部活動でもキャプテン・部長を務めていました。自ら手を挙げて「リーダーやりたいです!」というタイプでは全くなかったのですが、周りのメンバーから「美里に任せたら大丈夫だよね」と常に思われる人間であろうと意識し、努力をしていましたね。

部活も勉強も両立したいと考えていた私は、「文武両道」を掲げる県内の私立高校へと進学しました。高校生の時分では、幼い頃から抱いていた「海外」への想いの第一歩として、カナダにホームステイで訪れたんです。カナダでの経験も相俟って、大学では国際関係に強い学部に進学し、海外について触れ、学びたいという気持ちを強く抱いていました。

バスケ部、オーケストラ、そして大学の広報活動で組織のリーダーに

無事大学受験を終え、国際文化学部に入学しました。興味がある授業には積極的に出席し、そうでないものは、省エネモードで乗り切っていましたね(笑)。学業以外では、サークルや部活には所属せず、スターバックスで4年間アルバイトとして働いていて、卒業前には六本木のサラダ屋さんで勤務していました。特にスターバックスでアルバイトしていた日々は思い入れがあります。仕事をする中で、スターバックスは「自由で学びのある」とても素敵な会社だと感じました。一般的なアルバイトだと、どうしても仕事を一通り覚えると、その後は単純作業になってしまうと思うのですが、スターバックスでは社員さんが「もっとこういうことができるね」と成長のステップを示してくれ、人気の高い大手飲食業界の人材育成の層の厚さに驚かされました。

大学2年生の時にスペインのバルセロナへ半年間、語学留学で滞在しました。実は大学受験の際に、私は自己推薦を通じて入学したのですが、受験当初から、どの語学を大学在学中に学びたいのか、それは何故なのか、その言語圏の文化についての理解や興味、そしてその語学の学習歴についても大学受験で聞かれました。そのため、大学に入学した際には既にスペイン語圏への留学が決定していたんです。バルセロナでの日々はとても楽しくて、今でもスペインに憧れがあります。バルセロナ留学期間中は沢山遊んでいましたね・・(笑)。

留学以外では、オープンキャンパススタッフ、大学の公式広報活動に勤しんでいました。通常は大学職員が主導して開催している大学がほとんどですが、私の進学した大学では、受験を控えた高校生に在学生自らが大学の魅力を伝えるという活動を行っていました。私自身、高校生の時に大学の進学先について悩んでいた時、学生スタッフの方に大学生活のことや留学制度等について生の声をたくさん聞けたことが進学の決め手になりました。その経験に感化され、私も進学先に迷った高校生の力になりたいと思ったんです。大学3年生の時には、代表陣と呼ばれる組織のリーダーの一員として活動に没頭していました。

オープンキャンパススタッフは約300名の学生から成る組織だったため、高いモチベーションをそれぞれのメンバーが維持しながら、その実施に向けた準備に取り組んでもらうことは日々大変なことばかりでしたが、非常にやり甲斐のある経験となりました。

中学生の時には数十人の部活、高校生の時は100人のオーケストラ、そして大学ではオープンキャンパススタッフ300名の代表陣の一員として、思い返せば、期せずしていろんな場所で団体を纏める立場で青春時代を過ごしてきました。

新卒で旅行会社に就職、そしてメキシコへ

就職活動では、実は2社しか面接を受けなかったんです。星野リゾートと旅行代理店を受けて、悩んだ結果、旅行代理店への入社を決めました。実を言うと当時の私は、海外で生活して、仕事をしたいというのが本音でした。ですが就職活動のタイミングで私の妹のカナダの大学への進学が決定したため、心配性の母のことを考えてまずは日本で就職することを決意したんです。

結局、入社した旅行代理店は3ヶ月程度で退職して、母親には「やっぱり私、日本で就職して働くのは無理だったので、海外で仕事を探します!」とはっきり伝えました。

バルセロナでの留学や大学生活で学んだスペイン語等を活かせる就職先を探していた中で、メキシコでの就職に目をつけました。その後、Encounter Japanの面接を受け、無事内定を頂いたんです。

そうして2018年11月末にメキシコに来て、Encounter Japanへ入社しました。担当することになったのは、2018年8月に開店したばかりの、グアナファト州レオン市内にあるIzakaya GOENで、サービスリーダーのような立場で業務を開始しました。スペインで留学を半年間経験していたとはいえ、メキシコ人のスタッフやお客さんとのコミュニケーションを殆ど理解できず、当初は語学の面でも沢山苦しみましたね。Encounter Japanでは当時、大学生のインターン生が各拠点で期間限定ながらも働いていたのですが、そのインターン生達はとても優秀かつスペイン語もとても上手で、内心焦りを感じる日々を過ごしていました。

また、メキシコ人は意外とシャイなので自分から彼らに声をかけないと会話に発展しないため、必死になって自ら会話するように心がけていました。入社した当時はレストランのマネジメントや経営については殆どノータッチで、振り返って今思うと、気楽な日々を過ごしていたと感じますね(笑)

数々の困難を乗り越え、マネージャーという立場で飛躍する

入社してまもない2019年2月にはメキシコ全土でガソリンの供給が不足し、街中の人々が混乱に陥りました。人々の車を通じた移動が激減したことから、Izkaya GOENのお客様は激減して経営的にも大きなダメージを受けました。また2019年から2020年の前半には、当時の料理長や日本人の社員・スタッフの退職が重なり、受け持つ仕事の範囲も突然に広がっていったため慌ただしい日々を送っていました。そして誰しもが予想だにしていなかったコロナウイルスの蔓延によって、メキシコ政府の命令で3ヶ月に渡って店舗での飲食ができない状況となりました。デリバリーを通じた最低限の売上を確保しながら、徐々に秋口から客席制限がありながらも売上が伸びてきた、というタイミングで強盗事件が発生して。本当に息つく暇なくここまできた、というような感じです。

コロナウイルスによって店舗が営業停止になった時期には、もどかしくて、行き場のない喪失感を感じていましたね。いろんな悔しさや問題や課題を乗り越えてIzakaya GOENが3周年を迎えた2021年の夏。未だコロナウイルスが収束したわけではありませんが、沢山の人々に支えられながら取り組んできたことが実を結び、開店して丁度三年が経った2021年7月には、月間の最高売上を達成しました。

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紹介文: メキシコで活躍される日系企業経営者・社員の方々からスポーツ選手までインタビューし、お届け致します!

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