今大会でも盤石の戦いを披露 サッカー大国 メキシコ
まずはメキシコ代表チームの概観から紹介していきます。FIFAワールドカップには1930年の第一回大会から計16回、五輪には1992年以降計6回出場し、W杯での最高成績は1970年と1986年のベスト8、五輪は2012年ロンドン大会の金メダル獲得です。特に2012年の金メダル獲得時は決勝戦にて、当時20歳のネイマール率いるブラジル代表を、下馬評を覆して2-1で撃破し優勝を決めました。
24歳以下しか選抜されない五輪代表とは別の年齢関係なしの選抜、A代表もレベルが高く北中米諸国では絶対的な強さを誇ります。
先日決勝戦が行われたゴールドカップ という北中米諸国のサッカー王者を決める大会では、最多の11回の優勝を誇り(ちなみに2位は米国で7回)、近年のW杯でも1994年のアメリカ大会以降7回連続でグループリーグ突破を果たしています(日本は3回)。
この様にメキシコは押しも押されぬサッカー強豪国と言えます。
https://soccer-db.net/team/history.php?te=128
https://www.concacaf.com/gold-cup/
実は日本人も大活躍!?過去のメキシコオリンピック大会とW杯のエピソード
① サッカー五輪日本代表が初のメダル獲得 ! 1968年メキシコシティ五輪
1964年に東京五輪が開催され、国全体でスポーツへの気運が大きく高まっていた日本。
続く1968年のメキシコシティ大会で、日本代表は日本のサッカー史に名を残す快挙を成し遂げます。
強豪ハンガリーに準決勝で5対0と負けた日本は、国のプライドをかけて最後の戦いに挑みます。相手は開催国メキシコ。気候や標高などから地の利を生かしたメキシコが有利かと思われましたが試合が始まると日本は見事に下馬評を覆します。
開始20分エースの釜本邦茂がゴール、20分後にも立て続けにゴールを奪い なんと2対0で見事な勝利を収めました!
この三位決定戦に勝利した日本は見事銅メダルを獲得、主要国際大会でサッカー日本代表がメダルを獲得した初めての大会となりました。
(ちなみに日本代表の最多得点記録保持者は先ほどご紹介した釜本邦茂の75点です。これは2位カズの55点や4位本田圭佑の37点を大きく突き放し未だに破られていません。)
https://entamedata.web.fc2.com/sports/j005.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/9aacc9cc7ffe4757cbf2496a57b44d41e0e6bc0a
② 王様ペレのために捧げられた大会 1970年 W杯メキシコ大会
皆さんも一度は聞いたことがあるであろうサッカーの王様、「ペレ」。この1970年に開催されたW杯メキシコ大会はペレを「王様」たらしめ、ブラジルのサッカー王国としての地位を確立したと言っても過言ではありません。
すでに圧倒的な強さを誇っていたブラジル代表は大会前の予選、大会期間中のグループリーグ、決勝トーナメントを無敗で戦い抜き優勝。中心選手のペレは大会MVPを獲得しました。
これだけでも素晴らしいことなのですが、ブラジルはなんと引き分けなしの無敗、つまり全勝して優勝しています。後にも先にも「W杯全勝優勝」はこの時のブラジル代表のみです。
https://www.afpbb.com/articles/-/3017052
③ 神の子マラドーナが伝説を残して優勝 1986年 W杯メキシコ大会
サッカー好きの皆さんならW杯の名場面と聞いて何を思い浮かべますか?ジダンの頭突き、本田圭佑のフリーキック等数々の名シーンが思い浮かばれますが、共通してあがるのはアルゼンチン代表マラドーナの神がかったプレーの数々ではないでしょうか?
その中でも特に有名なイングランド戦の「5人抜き」と「神の手」ゴールは1986年に開催されたW杯メキシコ大会で生まれています。そしてこの1986年大会でマラドーナは母国アルゼンチンを見事2度目の優勝に導きます。
ちなみにこの活躍によりマラドーナはアルゼンチンのみならずメキシコでも神格化され、遂には2001年にメキシコの3人の青年らによって「Iglesia Maradoniana」という教会が作られたほどです(和訳するとマラドーナ教会、Iglesiaはスペイン語でキリスト教の教会をさすのに主に使われる単語です)。
この教会ではマラドーナの誕生日である10月30日をクリスマス (生誕祭)とし、彼がメキシコ・ワールドカップのイングランド戦で歴史的な活躍をした6月22日をイースターとして定めているそうです。
https://www.espn.com.mx/futbol/mexico/nota/_/id/7690731/diego-armando-maradona-mexico-mundial-muerte
個性的な選手揃い!メキシコ代表の選手たち
ここまではメキシコ代表全体やメキシコにまつわるサッカーの裏話についてまとめてきました。
ここからはメキシコの有名選手を中心により個人のエピソードを紹介していきます。
① メキシコ史上最高のストライカー、チチャリート (ハビエル・エルナンデス)
サッカーに興味のある皆さんならメキシコの有名選手と聞くとまずこの人を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか? そうです、チチャリートの愛称で親しまれるハビエル・エルナンデスです。
祖父、父共に元サッカーメキシコ代表というサッカー一族で生まれた彼。彼の愛称「チチャリート」には意外な由来があるのです。
本人曰く、父親は自身の目が緑色だったため、エンドウマメを意味する「Chicharo」というニックネームを付けられていたとのこと。そしてその息子であるハビエルが、小さなChicharoということで「Chicharito」(語尾のitoは指小辞と呼ばれ、小さい、親近感がある、かわいいなどのような意味を本来の言葉に加える働きがある) と呼ばれる様になったそうです。
そんなチチャリートも現在は32歳で2児の父。彼のインスタグラムでは奥さんや子供たちとの仲睦まじい様子を垣間見ることができます。
ちなみに奥さんはオーストラリア出身のサラコーハンさんという方で、アメリカでモデルをしながら米有名大学と言われるノートルダム大学で法学士を取得しているという才色兼備な奥さんなんです!チチャリートが羨ましくなってしまいますね
https://soyreferee.com/tendencias/Datos-y-curiosidades-sobre-la-famosa-Sarah-Kohan-20210108-0013.html
② 不屈の戦士 ラウール・ヒメネス
2人目はヨーロッパの第一線で活躍するラウール・ヒメネスです。
現在30歳のヒメネスは2011年にプロデビューすると2014年に欧州屈指の強豪クラブ アトレティコ マドリードへ移籍。その後ポルトガルのクラブ経て、サッカー伝統国イングランドのクラブで第一線で現在も活躍しています。
190cm・75kgと恵まれた体格を活かしたヘディングと、大きな体格からは想像できない軽やかなドリブル、そして力強いシュートでゴールを量産してきた彼は、メキシコ国内でもチチャリートと双璧をなすほどの人気を博しています。またその万能型で、なんでも卒なく器用にこなすプレーで世界中のサッカーファンを魅了してきました。
しかし2020年11月29日彼を悲劇が襲います。試合開始早々10分で、相手ディフェンダーとヘディングの競合いの際、激しく頭をぶつけてしまい、頭蓋骨骨折という大怪我を追ってしまうのです。
一時は引退も囁かれたラウールヒメネス。彼の力強く華麗なプレーを見たいと世界中のファンが見守っていた中、奇跡的な早期回復を経て遂に2021年7月18日に実戦復帰!
30歳とベテランに達し大怪我を乗り越え、心身共に強くなった彼の今後の活躍に期待です!
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1a413d275dd7817c7987378951bec3e23ed5555
今回のオリンピックで日本を破り、見事メダルを獲得したことで、再度強豪国としての存在を示したメキシコ。これからのメキシコサッカーに目が離せませんね!
またAmigaでは五輪メキシコサッカーに関して様々な情報を発信していますので他の記事も要チェックです!
前回の五輪特集記事はこちら!サッカーメキシコ代表 日本人コーチ 西村亮太さんのインタビュー記事はこちら!