縮めた自分の世界を、これからは拡げていきたい
サンクリストバルという小さな街で過ごしたことで自分の世界と向きあい、形にしたものをこれからは、広く発信できたらと思っています。現在もメキシコシティのお店で私の靴を販売させて頂いたり、バザールに出店するなどしていますが、今後はメキシコ全土、また他国へも自身の靴の販売を展開したいと考えています。ものがあふれかえるこのご時世に一つ一つの靴のクオリティはもちろん、材料に至るまで、自然環境への配慮のあるものを選ぶなど、責任を持ったもの作りを目指しています。
また、私は地元のインディヘナの方々と洋服をつくるプロジェク
トも行っています(下記リンク参照) 。
先住民の人たちが身近に暮らすこの町では、彼らとのコミュニケーションも醍醐味の一つです。ただ、習慣も、物の考え方もはたまた、お金に関する考え方も全く違う彼らとプロジェクトを始めるのは至難の業でした。洋服のプロジェクトも6年間同じ家族と、彼らの時間を尊重しつつゆっくり進めています。お互いに,お互いの考えにあゆみよりつつ、押し付ける事なく、気づいた信頼関係は、何にもかえがたい宝物であり、私の自信にもなっています。
洋服をつくるプロジェクトメキシコ人の特性とサンクリストバルでの子育てについて
メキシコ人のお人好しが高じ自分が出来ないことをハッキリと「出来ない」と言わない。これを私はイノセントな嘘と言っていますが,これに振り回される事数知れず。「出来ない」といって相手を悲しませたくないと思って「出来る!」と言ってしまうんです。まあ、自分に対する言い訳だったりもするんですが。こんなメキシコ人に出会ったら、怒らずに、説明する。次回はこうしてほしい,なぜならこうだから、と。

違う国で仕事をする上で暗黙の了解は、あり得ません。日本社会で当たり前の事とが日本の外では当たり前ではないのですから。それから、特徴は、よくも悪くもなんです。例えば、メキシコ人の時間へのルーズさ、仕事などでは困り者ですが、自分が遅れてしまった時や、相手の寛容さに驚かされます。メキシコと、日本両極端な国とも言えるのかもしれません。メキシコの極端な部分を、楽しめれば、メキシコはパラダイスです。
また、子育てをする上でサンクリストバルは非常に環境が良いことを日々感じています。親が学校の教育に対して何を求めるか次第ですが、この街では学校へ子供たちの親が様々な意見を投じることが当たり前なので、教育の現場に意見を反映出来る環境があることは、親として嬉しい限りです。私は自由に遊んだり考えたり、行動することが子供の成長に大きく繋がると考えています。サンクリストバルは比較治安も良いため、安全の心配をすることも少ないことから、子育ての場所として満足しています。
「モノが無い」からこそクリエイトする
メキシコに来るまで私が最も不安だったのは、モノがないところに行く、選択肢が日本と比べて少ない場所へ行くということでした。来てみて驚いた事は必要以上のオプション(選択肢)は,私にとって、ストレスに近いものだったという発見。これしかない物は、みんなこれを使う。選ばなくていい。メキシコでの生活を通して私は、必要なものは自らクリエイトすれば良い、こだわらなくて良いものはこだわらない、と思うようになりました。
物を作る上でインプットは非常に大事な事ですが、都会にいると知らず知らずのうちに、情報がダイレクトになってしまう。靴を見て靴を作る様になってしまう。メキシコの田舎で、想像力と、必要性を手がかりにデザインをし、世界中からかき集めた選りすぐりの材料で出来て来た靴は、純粋に自分が作りたいものでると、納得できます。
街に出ればすぐそこに可愛い靴と出会える都会では感じる事のなかった、使命感みたいな物がここにいると感じられるのが不便な場所で靴作りを続けている所以なのか。自分でもわかりません。
モノが無いからこそ、作り手としては非常に満たされる国。メキシコ全土を見渡しても日本のアーティストの方々やモノ作りに携わる方々が少ないのも、ネガティブな面に焦点を当てれば理解できますが、モノが無いからこそ自分の内側と向き合えるため、メキシコはクリエイターや表現者にとって非常にやり甲斐を感じることが出来る国だと私は思っています。