きっかけは大学時代に訪れた中南米に可能性を感じて。
−−スペイン語に興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか。
大学時代、メキシコ・ブラジル・アルゼンチンを訪問したことが、一つの大きなきっかけでした。父親の友人に、福岡青年商工会議所の中南米訪問団の団長の方がいらっしゃいました。お話を伺い、なかなか行く機会がないと思ったので、訪問団に加えていただき、中南米に行くことになりました。1976年当時の中南米は、日本とは違った成長・可能性があると感じたことを覚えています。外務省に入った時の語学選択では、中南米の言語であるスペイン語で第一希望を出しましたが、その通りの研修語学となり、スペインで研修をすることになりました。
大統領のドタキャンから学んだ教訓
−−なぜ外務省に入省されようと思われたのですか?
大学では法律・政治学を学び、国のためになる仕事をしたいと思っていました。友人で外務省を志望している人がいたので、OB訪問を一緒にした時に、関心を持ちました。
外交官としての経歴は、スペインのサラマンカで研修をした後、アルゼンチンで大使館書記官として勤務し、その後はワシントン、戦争中のイラク(バグダッド)、スペインで駐在、メキシコには大使として2014年11月から来ております。中南米関係の業務は長くて、ワシントンでも中南米の情勢を見ていたし、出張でもかなりの回数中南米に来ていました。
−−外交官生活で一番大変だった、ということはなんでしょうか。
若い頃はとにかくハードワークで、月の残業時間が百数十時間になることもありました。ただ、周りも同じようにハードワークを乗り切っていたので、そこまで気にはしていなかったです。
印象深いのは、スペインの研修が終わりアルゼンチンにいた時の失敗談です。当時私は、政治情勢を見る仕事をしていました。ある時、当時の大統領の訪日が決まっていたのですが、政情不安定のために訪日予定をどたキャンされてしまったのです。確かにその時、反政府勢力による爆弾事件があったりして、不穏な情勢があるにはあったのですが、私はその時、これくらいのことではキャンセルしないだろうと、自分の主観や希望込みで判断してしまいました。情勢分析を、願望を混ぜてしまい、誤ってしまったのです。もちろんこれは企業の分析でも同じで、自分の都合のいい方に予測してしまうことはあり得ます。これは教訓として肝に命じています。
親しみと敬意の「オタク外交官」が見る日本のポップカルチャーの素晴らしさ
−−イラクにいらしたことがあるとのことですが、山田大使が感じられたイラクと中南米との違いはなんですか。
私は、地域として最も親日的なところはどこかと言われたら、中南米だと答えます。
中南米は、日本のことをよくわかった上での親日国が多いように思います。ひとつには移住者の日系人が、現地で信頼を得ていることがあります。
また、官民で長年実施されてきた経済協力への評価が強いこと、戦争などに起因するいわゆる負の経験がないことなどの他に、近年は特に、日本の科学技術・ポップカルチャーに対する憧れも、親日感情につながっていると感じます。
私がいた頃のイラクは戦時中の厳しい環境でしたが、20世紀の間はイラク・日本間でビジネスがあったので、日本企業、日本製品に対する信頼があり、一般的には親日感情がありました。ただ中東には日系人の移民はいないので、そのような歴史的な付き合いはありませんね。そこが中南米と大きく違う点です。
−−なるほど、移民の存在は、国家間の関係に大きな役割を果たしているのですね。ところで、山田大使は「クールジャパン」政策が叫ばれるかなり前から、日本のポップカルチャーに強い理解を示されています。どういったきっかけがあったのでしょうか。
90年代から、世界で日本のポップカルチャーの人気が高まっているのは感じていました。
私自身は、日本はこのような動きをもっと注目していいのではとはずっと思っていましたが、当時は、日本に勤務していた時期だったので、直接海外のポップカルチャーファンに接していくということはできませんでした。
例えばイラクのバグダッドは日常生活もままならない特殊な状況でしたが、イラクのサマワでの給水車にキャプテン翼のシールを貼ったことで、現地の子供が喜んだ、ということがありました。
これは私がやったことではありませんが、戦場となった国々でも日本のマンガ・アニメといった文化が受け入れられていることはわかっていました。
当然ですが、そのあとに赴任したスペインは、ポップカルチャーを広める状況として、イラクに比べてずっと恵まれていました。
私はマンガに関する講演をいろいろな機会にスペイン語で行いました。
日本のマンガについての講演をスペイン語でやった日本人は私が初めてだろうと自負しています。日本のマンガやアニメに関するイベントがたくさん開催されていたので、そうしたイベントに積極的に出席し、現地のポップカルチャーファンと触れ合いました。
彼らにとっても、自分たちが好きな日本のカルチャーについて日本人と語る機会は非常に喜ばれるので、そういった取り組みは非常に力を入れていました。
この種のイベントで当時日本のメディアが取り上げていたのは、パリの『エキスポジャポン』くらいでしたが、バルセロナでは3日で約7万人が集まるサロン・デ・マンガというイベントがありました。
これはエキスポジャポンより長い歴史がありますが、日本の関係者やメディアは全く注目していませんでした。日本の大使館の大切な仕事のひとつは、現地でいわば「日本のファン」を作ることですから、仕事の合間を縫って週末のイベントに出かけて行って、挨拶をしたり、コスプレ、カラオケ大会の審査員をしたり、一緒に楽しんで過ごすという感覚で足を運んでいました。
ある時から、「Diplomatico friki(オタク外交官)」というあだ名がつき、地方紙でも取り上げられたりしました。これは、現地のオタクたちに親しみと敬意を持ってそのように呼ばれたのでしたから、ありがたいことでした。
こういう活動は、上から言われてやる仕事でもなく、今まで他の外交官がやってきたことでもありません。他国にある日本大使館からは「大使館として、どのように関わっていけばいいか」という相談もありました。
例えば、コスプレ大会やカラオケ大会の優勝者に簡単な表彰状を作るとか、イベントで挨拶をするとかということで、とても喜んでもらえます。
そして日本大使館からお墨付きを得ることで、オタク文化を愛する事への自信にもなると、述べたイベントの主催者もいました。そうやってさらに日本への好感が高まればいいと思ってやっています。
「やって意味があるのか。」というご批判を受けることもありますが、日本の文化について語ったり楽しんだりする人たちの気持ちに寄り添うことは、非常に意義があることだと思っています。
副次的な影響としては、ポップカルチャーがきっかけで、日本の外交や経済などについてメディアで話すような機会が増えました。あるテレビ番組では、始めはアニメの話をしていたのが、国際問題を月1で話す機会を頂くようになったこともありました。
講演内容は「マンガ」。メキシコでの今後の方針。
−−知り合いのメキシコ人でfriki(オタク)の人たちがたくさんいます。彼らのfacebookを見ていると、山田大使とのツーショットが上がってきたりすることがあります。
メキシコでも、日本の文化に関心を持っている人はたくさんいますので、同じようにやっていますね。写真を撮って欲しいと言われることもよくあります。時間の制約がない限りは、できるだけお応えしています。
−−初めて講演のお話があったのは、どういうきっかけだったのでしょうか。
スペインで大学などから大使館員による講演の依頼を受けます。そこで、私から講演のテーマとして例えば「日本の政治」「経済」「経済協力」…「マンガ」の中で、どれがいいですかと相談すると、10中10の場合に、マンガについて話して欲しい、と言われました。他のテーマはともかく、「日本のマンガ」についてスペイン語で講演できる人は他にいなかった、ということなのですね。
『マンガ』についての講演だけではなく、「歌謡曲からJPOPへ」という題で日本の歌謡曲の歴史についてスペイン語講演をしたこともありました。
−−ぜひお聞きしてみたいです。こういったカルチャーについて勉強されたのですか、それともご趣味が高じて…?
どちらもあると思います。マンガも人並みに読んでいましたが、それほど多量に読んでいたわけではありません。マンガ自体よりマンガに関する評論を多く読んでいました。講演を行うためには、自分なりの観点、視点をもって分析をする必要があります。そのために本を数十冊読んだり、CDを買って聴いたり、かなり時間をかけて準備していますよ(笑)。 なので、好きでないとできないかもしれませんね。
趣味、ということで言えば、私はNPO法人「将棋を世界に広める会」の理事としても長い間活動しています。将棋に似ているゲームはチェスをはじめとして世界中にありますが、取った駒を持ち駒として使える日本の将棋は、ほかの将棋類似ゲームと比べてより複雑かつ戦略的で面白いということで、将棋を世界に普及する活動をしてきました。ただメキシコではちょっとしか活動できていなくて…これから頑張っていきたいです。
さらには、スポーツを通じた日墨の関係強化をしようと考えています。赴任直後に、野球・サッカー・ルチャリブレ・WBC(ボクシング)の会長にそれぞれ挨拶に行きました。こちらから話をもちかけて、2度、メキシコプロ野球の試合の始球式を行ったり、そのあと解説席で、日本とメキシコの関係や野球の話をしたりして、広報活動しました。これもアイディア次第ですね、彼らにとっては一つのニュースになるので、大歓迎なわけです。実は、日本プロ野球機構とリーガメヒカーナで、代表チーム同士の強化試合をしないかという話があって、それの側面支援もしています。
サッカーもやりたいんですが、始球式はちょっとまだ敷居が高いです。ただ、メキシコシティーのチームClub Américaがクラブ世界選手権で日本に行く前の壮行記者会見に立ち会ったりしました。
−−イベントや広報活動への参加を大使自身が積極的に行われるのは、世界でも珍しいのではないでしょうか。
私が先陣を切ってやることに意味があると思います。マスメディアでの発信にも力を入れていますが、昨年の調査では私はおそらく世界で一番メディアに出ている日本大使ですね。メキシコのメディアに出て日本の話をすることは、とても重視しています。日本とメキシコの間には、400年にわたる日墨間の友好・通商関係についての歴史的な話題やビジネス関係の話題がたくさんあります。メキシコに進出した日系企業は、2009年の399社から昨2015年には957社と、約2.5倍に増加しており、今年には1000社を超えるでしょう。
また、私自身、日墨双方向の交流を深めるために、もっといろんなことをやっていきたいと思っています。メキシコ料理でよく出てくる、モレ(Moles)というソースがあります。これは地域によって入っているものが違うのですが、必ず入っているのがゴマ(Ajonjoli)です。すべてのモレにゴマが入っているように、大使として、日本とメキシコの関係のいろんなところに参加することで、「すべてのモレソースに入っているゴマ(Ajonjoli en todos los Moles)のような存在になりたい」、というご挨拶を、最近しました。
【後編】メキシコでの可能性と方針を語る。